いけばなの稽古において各自に配られる花材で、ときに自分のものだけが面白味なく映ることがある。ちらちらと周囲を伺いながら、引き比べた手元の枝ぶりがいかにも見劣りして、情けないことに隣の花は赤く見えるのである。そうかと思えば、ごく平平凡凡すぎる枝をしばらく手にしておられた後に、ものの見事に美しい花形にまとめ上げてゆかれる方が居る。私の眼にはつまらないとしか映らなかった花木の中に、確かな花のかたちを見極めておられるのである。
自分にどの様な良い花材が当たるか当たらぬかに拘わる限り、永遠に何処にも辿り着くことは出来ないのかもしれない。限られた条件下で、どれだけのものを其処から引き出すことができるか、問われるのはこちらの素の力量である。求めれば色々のものが容易に手に入る時代であるだけに、極限状況と言うにはあまりもささやかかもしれないが、あえて何かが欲しい何かが足りない舞台に身を置いたまま、己の技だけを最大限に揮って此処で一勝負を賭ける、という姿勢は大切である。これはいけばなだけに限らない。
自分にどの様な良い花材が当たるか当たらぬかに拘わる限り、永遠に何処にも辿り着くことは出来ないのかもしれない。限られた条件下で、どれだけのものを其処から引き出すことができるか、問われるのはこちらの素の力量である。求めれば色々のものが容易に手に入る時代であるだけに、極限状況と言うにはあまりもささやかかもしれないが、あえて何かが欲しい何かが足りない舞台に身を置いたまま、己の技だけを最大限に揮って此処で一勝負を賭ける、という姿勢は大切である。これはいけばなだけに限らない。