花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

廓文章の伊左衛門│當る酉年「吉例顔見世興行」

2017-02-26 | アート・文化


京都師走恒例の吉例顔見世興行は、改修工事による南座休館にともない先斗町の舞踊公演「鴨川をどり」の会場である先斗町歌舞練場で開催された。第二部、第二が「廓文章」で、主人公の藤屋伊左衛門(片岡仁左衛門、敬称略、以下同文)は最後に勘当を許されて、身請した扇屋夕霧(中村雀右衛門)と晴れて夫婦となり大団円を迎える。原作は近松門左衛門作『夕霧阿波鳴渡(ゆうぎりあわのなると)』である。上之巻、吉田屋の場を上方和事狂言に仕立てたのが「廓文章」で、原作はさらに登場人物が多くて込み入った筋立てである。このたびの劇中では、後見人の片岡仁左衛門の襲名披露口上から始まり、芝雀改め六代目中村雀右衛門襲名挨拶が行われた。

「廓文章」の伊左衛門は紛れもなく、上質の近世上方文化が手塩にかけて育み育て上げた「ええしのぼん」である。一見、蕩尽した挙句に尾羽打ち枯らすもその自覚がなく浮ついたままの「あほぼん」に映る。今や境遇の内実はどん冷えで、中医学の言葉を借りれば「陰盛格陽」(真寒仮熱:体内の陰寒が盛んになり陽気が外方に押しやられる為に、体内は真寒であるのに体表に熱証の症候が出現すること)であろうか、かなり切羽詰まった状況にあるのだが、彼には何ら臆する処がなければ僻みもない。
 大和未生流の須山御家元は『風に立つ花 向かう花』の「芸の伝承継承」の章において、上方歌舞伎の和事芸について伊左衛門が体現する魅力を次の様に語っておられる。
「その名残を色濃く残す『廓文章』「吉田屋」では、豪商の身である伊左衛門が、遊女夕霧に夢中となり通い詰め挙句の果てに勘当され落魄の身となり、哀れな姿となって寒中夕霧に逢いに行くという何の分別もない男である。しかし彼は何一つ後悔もしていない、反省などまるでない、その魅力は遊女故に零落しても決して恥じる事のないその生き方にある。
 社会的に敗北者となりながらも、その生き方の中で彼だけが得た大切なものがある。こんな人物を演じるには発声も身のこなしも、台詞まわし、間のとり方も独特の演技方式を必要とする。そして何よりもそこに大阪町人独特の香しい気品がなくてはならない。それが和事芸の魅力なのである。」
(『風に立つ花 向かう花』, p171)

劇中、揚屋吉田屋主人、喜左衛門があまりのいたわしさに、「藤屋の伊左衛門様にこの吉田屋の喜左衛門が着せまする小袖、たとへ蜀江の錦でも頂いて召しませうか」と涙をこぼすのに対し、当の本人は悠然と曰く、
「いや、喜左。この紙子の仕合せ、さらさら無念と存ぜぬ。総じて重たい俵物、材木でも、牛馬が負うは珍しからぬ、犬か猫が負うたらば、これはと人が手を打たう。我らもそのとほり、紙子の袷一枚で、七百貫目の借銭負うて、ぎくともせぬは、恐らく藤屋の伊左衛門、日本に一人の男、この身が銀(かね)じゃ、それで冷えてたまらぬ。」(『近松門左衛門集一』, p406)
 伊左衛門は紙子の袷一枚の姿で七百貫目の借金を背負うとも、この体が金の藤屋の伊左衛門、何を恐れようか、だから冷えるのだと洒落のめして莞爾として笑ってみせる。赤子の様な天真爛漫さ、はんなりとした優男の外観の中に仕込まれているのは、「この身が銀(かね)」と言い切る翳りのない不撓の気甲斐性(きがいしょ)である。しかも、それをもろに曝け出さないのが育ちの良さ、品の良さである。片岡仁左衛門が演じる伊左衛門はこの辺りの硬軟綯い交ぜの風姿がまこと絶妙である。
 負債が増えただけ「その身が資本」も増えて、おのれは銀(かね)と喜左衛門に水を向けて「餅搗きに大きな金がおいでなさった」と阿吽の呼吸を引き出し、双方良しで帳尻を合わせてみせるのも商売人の感性であろう。豪商に生をうけた若旦那として周りの物事がどう見えるのか、どのように見定めなければならないのか、並の男ならば疾うに枯れて萎むに終わる状況にあるとも、彼がその眼を痩せ細らせることはない。
 山崎豊子著『ぼんち』に、「喜久ぼん、気根性(きこんじょう)のあるぼんちになってや、ぼんぼんはあかん」の言葉がある。藤屋伊左衛門は決してやわな「ぼんぼん」ではない。

参考資料:
新編日本古典文学全集74『近松門左衛門集一』, 小学館, 1997
『風に立つ花 向かう花 花と舞台の日本的美』, 須山章信著, おうふう, 2017
新潮文庫『ぼんち』, 山崎豊子著, 新潮社, 1961



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