花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

原安三郎コレクション 広重ビビッド│三遠の法

2016-10-01 | アート・文化

《原安三郎コレクション 広重ビビッド》 / 図録

日本化薬株式会社元会長、原安三郎氏が収集された《原安三郎コレクション 広重ビビッド》展が、本年、サントリー美術館を皮切りに全国六か所をを巡回している。歌川広重の貴重な初摺の『名所江戸百景』、『六十余州名所図会』の揃物を中心とした展覧会は、ふくやま美術館に続き、畿内では大阪高島屋(会期:9月28日(水)~10月17日(月))で開催されることになった。文字通りビビッドなベロ藍、広重ブルーが目に染みる作品の横には、広重が追い求めた様々な技法の説明とともに、各々の画に描かれた細部の名称、そして今や変わり果てた名所を撮影した現代の風景写真が提示されている。まさに昔を今になすよしもがなである。


歌川広重「六十余州名所図会 / 大和 立田山 龍田川」(図録p57)

この秋、大和未生流いけばな展で龍田川の楓を生けたことが機縁で、いつか本物にお目にかかりたいと願っていたのが『六十余州名所図会』の内の「大和 立田山 龍田川」である。横に掲げられた説明文には、龍田川の水運の要衝であった亀の瀬の情景であることが示されていた。大和から河内へと流れる大和川(龍田川)の奈良県と大阪府の府県境付近が「亀の瀬」である。『大和名所図会』にも描かれた亀石、亀岩と呼ばれる大石があるのが名前の由来で、亀の瀬の北側一帯は地滑りが多く現在に至るまで対策工事が行われている場所でもある。


「大和名所図会 龍田川」

会場の一隅には、淵上旭江の『山水奇観』が展示されていた。広重が『六十余州名所図会』の典拠として多用するも、視点の位置を変えるなどの工夫を加えて独自の表現へと発展させたという絵本である。帰宅後にもう一度図録を見直すと、圧倒的に『山水奇観』には俯瞰図が多い。広い景色を一望に収めて、その地域のあらましを読者に掴ませるには俯瞰図が優れているのだろう。

さて北宋、郭熙は、画論『林泉高致(りんせんこうち)』にて「三遠」を山水画の構図法として提唱している。
山有三遠: 自山下而仰山顛, 謂之高遠; 自山前而窺山後, 謂之深遠; 自近山而至遠山, 謂之平遠。高遠之色清明, 深遠之色重晦, 平遠之色有明有晦; 高遠之勢突兀, 深遠之意重疊, 平遠之意冲融而縹緲。其人物之在三遠也, 高遠者明瞭, 深遠者細碎, 平遠者冲澹。明了者不短, 細碎者不長, 冲澹者不大。此三遠也。
(『林泉高致』 張瓊元編, p74-75, 黄山書社, 2016)


『芥子園画伝』巻三 山論三遠法 / 平遠法、深遠法、高遠法

すなわち山麓より頂上の巓を仰ぎ見る「高遠」、正面より山の後方、奥深くを窺う「深遠」、そして近くより遥かに見わたす「平遠」が、山水の基本的な捉え方である三遠の法である。これは山水画を描く時だけに心がけるべきものではないに違いない。清代の画譜『芥子園画伝(かいしえんがでん)』、山法の章にはこの三遠の山が描き分けられている。ふたたび広重の浮世絵に戻ると、各々一見、高遠、深遠ないし平遠の画かと思えても複眼的であり、一枚の画の中には異なった視線の描き方が混在していることに気付いた。それを踏まえて「木曽路之山川」を眺めてみると、此処には雪で覆われた木曽路の山々が描かれているのだが、右より「深遠」、「高遠」、「平遠」の画ではないだろうか。「木曽路之山川」は大判三枚続きのパノラマであり、三枚で一幅の絵なのである。


歌川広重「木曽路之山川」(図録p436-437)

帰宅後に図録の「大和 立田山 龍田川」の画を眺めて見ると、向かって左遠方に立田山、その手前には三室山、下方に降りて問屋場から川中の亀石と続く。そして底部を超えた後は、右手に切り立つ崖のラインを辿り、その上に紅葉を頂く木がほぼ屹立する。画を眺める視線は「大和 立田山 龍田川」の題名から反時計回りに回り、なるほどこれがかの名所なのかと堪能して、再び「大和 立田山 龍田川」の位置に還る。この画もまた、一つの方向へ向かって注がれる視線だけでは描かれてはいない。「高遠」は突兀(とつこつ)で聳え立つ勢いがあり、「深遠」は重畳として山々が重なり合い、「平遠」は縹渺とはるばるとした趣があり、全てが一つの画の中に混在しているのである。


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