花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

風蕭々兮易水寒│生誕150年 横山大観展

2018-06-24 | アート・文化


『生誕150年 横山大観展』が京都国立近代美術館で開催中である。「風蕭々兮易水寒」は画伯最後の院展出品作で、前期展示では絢爛豪華な六曲一双の「夜桜」、「紅葉」と同じ一室に展示されていた。中国春秋時代の燕の壮士、荊軻が使命を果たさんが為、易水のほとりで「風蕭蕭兮易水寒、壮士一去兮不復還」と詠い、再び還ることのない地に別れを告げる場面である。如意の如き尖端をみせる干枯した柳の太枝は、「別離河辺綰柳条」と詠われる綰柳(結び柳)を表わすかの様に、幹との間で歪な輪を作る。波打つ大河の畔、揺れる柳条の前に立ち尽くす犬は、首途を見送る者と見送られる者すべての「士皆瞋目、髪尽上指冠」の心を映し、尾は垂れているも目は怒り、口は真一文字に閉じている。彼もまたおのれの運命の上に四肢を踏ん張り、壮士が去った遥か彼方を見据えている。


風蕭々兮易水寒│名都美術館

  詠荊軻   陶淵明
燕丹善養士 志在報強嬴  燕丹善く士を養い 志は強嬴に報いるに在り
招集百夫良 歳暮得荊卿  百夫の良を招集し 歳暮に荊卿を得たり
君子死知己 提劍出燕京  君子は己を知るもののために死す 劍を提げて燕京を出づ
素驥鳴廣陌 慷慨送我行  素驥 廣陌に鳴き 慷慨して我が行を送る
雄髮指危冠 猛氣衝長纓  雄髮は危冠を指し 猛氣は長纓を衝く
飮餞易水上 四座列羣英  飮餞す易水の上 四座羣英を列ぬ
漸離撃悲筑 宋意唱高聲  漸離は悲筑を撃ち 宋意 高聲に唱ふ
蕭蕭哀風逝 淡淡寒波生  蕭蕭として哀風逝き 淡淡として寒波生ず
商音更流涕 羽奏壯士驚  商音に更に流涕し 羽奏に壯士驚く
心知去不歸 且有後世名  心に知る 去りて歸らず 且つは後世の名有らんと
登車何時顧 飛蓋入秦庭  車に登りて何れの時か顧みん 飛蓋秦庭に入る
凌厲越萬里 逶逶過千城  凌厲として萬里を越え 逶逶として千城を過ぐ
圖窮事自至 豪主正征營  圖窮まって事自ら至る 豪主正に征營たり
惜哉劍術疏 奇功遂不成  惜しい哉 劍術疏にして奇功遂に成らず
其人雖已沒 千載有餘情  其の人已に沒すと雖も 千載餘情有り

  于易水送人 駱賓王
此地別燕丹 壯士髮衝冠  此の地燕丹に別る 壯士髮冠を衝く
昔時人已沒 今日水猶寒  昔時人已に沒し 今日水猶ほ寒し


于易水送人│唐詩選畫本

太子およびその門客や事情を知る者たちは、みな白い衣装と冠で見送って、易水の岸べまで来た。祖の祭りをすませて、旅路につこうとしたとき、高漸離は筑をかきならし、荊軻はそれにあわせて歌った。それは変徴(へんち)のしらべであった。男たちは皆涙がこみあげて泣いた。(荊軻は)また進み出て、歌った、
  風蕭蕭兮易水寒   風蕭蕭として易水寒し
  壮士一去兮不復還  壮士一たび去って復た還らず
さらに羽調で歌い忼慨の意をあらわしたとき、男たちはみな目を怒らせ、髪はさかだって冠をつきあげた。それより荊軻は馬車に乗り出立したが、ついに一度もふりかえりはしなかった。(史記、刺客列伝 第二十六)

-----司馬遷は刺客列伝の末尾を以下の一文で締めくくる。
自曹沫至荊軻五人、此其义或成或不成、然其立意較然、不欺其志、名垂後世、豈妄也哉。
曹沫から荊軻までの五人、義侠の行いを成しとげた者も、成らなかった者もいる。けれどもその心ばえは明白であって、志にそむきはしなかった。名声が後世に及んだのは、けっしていわれなきことではないのである。

参考資料:
「生誕150年 横山大観展」図録, 東京国立近代美術館, 京都国立近代美術館, 2018
横山大観記念館監修:「横山大観の世界」, 美術年鑑社, 2006
松枝茂夫, 和田武司訳注:岩波文庫「陶淵明全集(下)」, 岩波書店, 1990
陶潜著:中国古典文学叢書「陶淵明集校箋」, 上海古籍, 2011
川合康三編訳:岩波文庫「中国名詩選(中)」, 岩波書店, 2015
兪平伯 他編:「唐詩鑑賞辞典」, 上海辞書出版, 2013
石峯橘貫書画:「唐詩選畫本 五言絶句一」天明戌申再刻版、明治刷
小川環樹, 今鷹真, 福島吉彦訳:岩波文庫「史記列伝(二)」, 岩波書店, 2015