花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

一滴の油、散じて満池に及ぶ│2018年NHK正月時代劇「風雲児たち~蘭学革命篇~」

2018-01-11 | アート・文化


本邦初の西洋医学書『解体新書』刊行を巡る真摯な苦闘、『ターヘル・アナトミア』の翻訳事業における“蘭学事始”秘話を描いた熱き歴史時代劇である。前人未到の領域に果敢に挑戦した前野良沢、杉田玄白はじめ、偉大な先賢の恩恵を頂くことなくして現代の医療は成り立たない。お蔭を蒙った後世の医師群の末席に連なる者として深く心を揺さぶられた。冒頭には滔々と「このドラマは大河ドラマではなく、よって時代考証は大ざっぱである」という表示が出る。これは笑う所であって笑って終わる所でない。それならば“肝腎”を何処に置いたのか、その眼でしっかり見届けよと観る者に突きつけた果し状であろう。

原作はみなもと太郎(本ドラマの中に版元の男・寛三に扮して御出演)による一連の大河歴史漫画、『風雲児たち』で、脚本は一昨年の大河ドラマ「真田丸」を御担当なさった三谷幸喜である。出演者は前野良沢(片岡愛之助)、杉田玄白(新納慎也)、中川淳庵(村上新悟)、桂川甫周(迫田孝也)、平賀源内(山本耕史)、田沼意次(草刈正雄)をはじめ、「真田丸」で好演なさった多くの俳優さんである。各々の俳優陣の演技には、一見逆張りあるいは一層先鋭化されたようなキャラ設定の人物像であっても、何処か「真田丸」の懐かしい残り香が漂っている。何よりも諸兄諸姉が配役を心底楽しんで演じておられる様子が伝わって来る。



「帰路は、良沢、淳菴と、翁と、三人同行なり。途中にて語り合しは、扨々(さてさて)今日の実験、一々驚入。且つこれまで心付ざるは恥べき事なり。苟(いやしく)も医の業を以て互に主君主君に仕る身にして、其術の基本とすべき吾人の形態の真形を知らず、今まで一日一日と此業を勤め来りしは面目もなき次第なり。何とぞ、此実験に基づき、大凡(おおよそ)にも身体の真理を弁へて医を為さば、此業を以て天地間に身を立るの申訳もあるべしと、共々嘆息せり。良沢もげに尤千万、同情の事なりと感じぬ。」

上は『蘭学事始』における腑分観臓後の杉田玄白の感慨である。『ターヘル・アナトミア』がいかに御立派に思える本であっても、「照らし合せ見しに」、「拾ひとりてかずかず見しに」という言葉で示される実証主義に基づく検証を経ずして、希代の翻訳作業は開始されなかった。これら先賢の諸医家の原動力となったのは、治療上の大益を得んという使命、かかわる生業における責務、そして真理に対する飽くなき渇仰である。その要があると狙いを定めたら最後、求めて已むことがない姿勢が、各人により表現型が異なっていても、“蘭学事始”において展開する真骨頂である。



翻訳作業の主翼を担いながら『解体新書』の訳者に名がない前野良沢と、刊行を急ぎ主著として名を冠した杉田玄白。天下後代に続く道のために信念を貫くという心は同じであっても、それが故に先駆者として、片や精密微妙の所を明らかにして、片言隻語たりとも蘭語の翻訳に誤謬があっては許されぬという者と、片や先ずは上梓し此の学を海内に伝え、未到達地開拓の人柱とならんという者である。学究肌VS実務肌という皮相な単純図式を越えて、両雄の間に生まれた齟齬や確執は深い。
 ドラマの最終は、新春のドラマらしく齢を重ねた後に涙で抱き合う大団円で締め括られる。寛政四年(1792年)十一月二日、養嗣子の杉田伯玄が養父の鷧斎先生(杉田玄白)六十歳の長寿を祝い、併せて蘭化先生(前野良沢)七十歳を寿ぐための合同賀宴を開いたのは史実である。『解体新書』発刊後、あたかも「永く此れより決(わか)れ、各自(おのがしし)努力せん」の如く相容れぬ道を進まれた両先生が、祝宴で再会なさった時の心底は神のみぞ知るである。ドラマで描かれたクライマックスの感動的な情景は事実ではなかったかもしれない。だが両雄の心に去来したであろう万感の思いの中に、お互いを労わり讃え合う心がなかったと誰が言えるだろう。異質な個性が火花を散らせて絡み合い、さらなる高みに行かんと切磋琢磨した、“蘭学革命”の峻路を共に歩みし者同士でしか共有できない“恩讐の彼方”の境地であったのではないか。人は遠慮も感傷もなく、ただ己が信じる道を歩くのみである。

「人は出合い、そしてまたわかれる。その離合集散の繰り返しが、人と人の歴史をつづってゆく。人は生きる。己にしかない個性をひっさげて。そして時間がまた少し流れる-----」(『風雲児たち~蘭学革命篇~』, p207-208)



私が医学教育を受けた1970~1980年代では、基礎医学に属する解剖学の講義実習は、専門課程に入った三回生で始まった。これも個人情報の守秘義務であるから詳しい記載は控えるが、尊い御身体を献体なさった御方々が静かに横たわっておられた、あの解剖実習室の厳粛な光景は齢を重ねても脳裏から消えることはなく、医師としての原風景となった。
 最後に記すのは、杉田玄白著『形影夜話』の一節である。解剖学は根拠に基づく医療の原点である。

「医は人を医するの業なれば、先ず身体具稟の内外諸物の形質を精究するを第一とすべきなり。」(杉田玄白著『形影夜話』│「洋学・上」, 254-255)
「夫医術の本源は、人身平素の形体、内外の機会(ようす)を精細に知り究るを以て、此の道の大要となす、とかの国に立ればなり。凡そ病を療するに、此に精しからざれば、決して的中の治療はならざるの理なり。」(同, p257)



参考資料:
みなもと太郎著:「風雲児たち~蘭学革命篇~」, リイド社, 2017
小川鼎三監修, 大鳥蘭三郎校注:「解体新書 覆刻版」, 講談社, 1973
片桐一男全訳注:講談社学術文庫「蘭学事始」, 講談社, 2000
吉村昭著:新潮文庫「冬の鷹」, 新潮社, 1976
菊池寛:「菊池寛 短編と戯曲」, 文藝春秋, 1988
片桐一男著:「知の開拓者 杉田玄白---『蘭学事始』とその時代, 勉強出版, 2015
沼田次郎, 松村明, 佐藤昌介校注:日本思想大系64「洋学・上」, 岩波書店, 1972
広瀬秀雄, 中山茂, 小川鼎三校注:日本思想大系65「洋学・下」, 岩波書店, 1972
鳥井裕美子著:「前野良沢 生涯一日のごとく」, 思文閣出版, 2015