花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

春の養生│春のように生きる

2015-03-08 | 二十四節気の養生


春は立春から雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨までの六節気である。明代、洪自誠の『菜根譚』には次の一節がある。
「学者有段兢業的心思, 又要有段瀟洒的趣味, 若一味斂束清苦, 是有秋殺無春生, 何以発育萬物」
学ぶ者は段の兢業の心思あり。また段の瀟洒の趣味あるを要す。若し一味に斂束清苦ならば、これ秋殺ありて春生なきなり。何を以てか萬物を発育せん。

ここでは、道を学ぶに際しては、己を慎み律してひたすら刻苦勉励だけでは駄目で、ものごとにとらわれない瀟洒超脱、軽妙洒脱な精神が大切であることを述べている。本邦『閑吟集』で歌うところの「何せうぞ、くすんで。」である。落葉凋落の秋殺に終わり、その先の陽光に溢れた春生がなければ、どうして萬物を発生させることが出来ようかと教えている。

まさに春は萬物が生まれ出づる「春生」である。さらに遡る漢代に成立した医学書『黄帝内経』では「春生, 夏長, 秋収, 冬蔵, 是氣之常也, 人亦應之。」(霊枢・順気一日分為四時)と、春は発生、夏は成長、秋は収穫、冬は貯蔵と称され、これが自然のリズムであり、人もこの一年のリズムに順応することが説かれている。「生」、「長」、「収」、「蔵」の四文字で表される四季の属性の中で、春のキーワードは「生」であり、「岩走る 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも」(『万葉集』巻八、春雑歌、志貴皇子)の萌生である。ようやく啓蟄を迎えたこのあたりで、『黄帝内経』を改めて紐解いて春の養生を考えてみたい。

「春三月, 此謂發陳。天地倶生, 萬物以榮, 夜臥早起, 廣歩於庭, 被髪緩形, 以使志生;生而勿殺, 予而勿奪, 賞而勿罰, 此春氣之應, 養生之道也。逆之則傷肝, 夏爲寒變, 奉長者少。」(素問・四気調神大論篇第二) 
春、三月、此れを発陳(はっちん)と謂う。天地、倶に生じ、万物、以て栄ゆ。夜に臥せ、早に起き 広く庭を歩き、被髪して、形を緩るくし、以て志を生ぜしむ。生のうて殺すること勿れ。予えて奪すること勿れ。賞して罰すること勿れ。此れ、春気の応にして、生を養うの道なり。之に逆うときは則ち肝を傷め、夏に寒変を為す、長を奉ける者少なし。

春の三か月は「発陳」と名付けられ、発は展発、陳は陳列の意味である。萬物は新たな命を得て、天地には欣欣向栄の気運が満ち満ちるときである。この時節は何時に寝起きするのがよいだろうか。一日を四季に例えると「以一日分為四時, 朝則為春, 日中為夏, 日入為秋, 夜半為冬。」(霊枢・順気一日分為四時第四十四)と、朝は春、日中は夏、夕方は秋、夜半は冬にあたるとされる。時刻で言えば、子時(23-1時)から卯時(5-7時)が春となり、陽気が生まれ体表の外側に向かう時刻である。午時(11-13時)には陽気が最盛となり、同時に衰える方向に転換する。酉時(17-19時)に至ると陽気が衰微し内側に収斂する時刻となり、陽気は次第に裏陰に内蔵されてゆく。四季の起床と臥床に関しては、春および夏は「夜臥早起」、秋は「早臥早起」、冬が「早臥晩起」と記載されていて、微妙に変化がみてとれる。春においては、陽を養う春・夏に相当する覚醒している時間を長くして、陽気が内に収束する睡眠の時間帯は少なめとするのである。これは決して深夜遅くまで頑張ろうぜという夜更かしのすすめではない。日の出とともに起床、日没とともに休息するという様な電気がなかった頃の生活は、もはや多くの現代人には望むべくもない。しかしながら黄帝内経が成立した漢代から現在までの僅か二千年の間に、その激変した生活環境に問題なく順応できる様に人体が大いなる進化を遂げたとは考えられない。この時期、就寝は遅くとも23時、起床は6時くらいを守りたいものである。

さて、起床の後はどう過ごせば良いのだろうか。春生に相当する朝に庭の散策で身体を動かせば、よりよく陽気を生みだすことになる。春眠暁を覚えずと称して、だらだらと朝寝をむさぼっていては春の養生にならない。さらに心がけるべきは、束ねた髪を解き放ち、ゆったりとした衣を纏うこと。そして生まれ育つものを養い、力を与え、褒め称えるのであり、それを損なったり、奪ったり、貶めたりしてはならぬという教えが続く。おのれに対しても人に対しても、のびやかな心を失ってはいけないのである。これらが春の天地の動態に呼応し萬物発生の力を養う道であり、これに反すれば春に旺盛となる肝の疏泄作用(気の運動・流通、脾胃の消化吸収、および精神、情動機能などの調節を含む)を障害して、夏に寒の病変がおこり成長すべき力が妨げられると戒めの言葉が最後に続く。

この「夏に寒変を為す」で注意喚起されているのは季節病の発症である。『黄帝内経』の別章には以下の記載がある。
「冬傷於寒, 春必温病; 春傷於風, 夏生飧泄; 夏傷於暑, 秋必痎瘧; 秋傷於濕, 冬生咳嗽。」(素問・陰陽応象大論篇第五)
冬、寒に傷られると、春必ず温病となる。春、風に傷られると、夏必ず飧泄を生ず。夏、暑に傷られると、秋痎瘧となる。秋、湿に傷られると、冬咳嗽を生ず。
春の季節に限って文意を辿ってみると、冬に寒邪を受けて春に至って伏寒化熱により生じる、急性熱病である伏気温病の「春温」とともに、上述の様に、春に風邪を受け肝の疏泄が正常でなくなり、脾の昇清機能(消化吸収した栄養物質を昇らせ全身に行き渡らせること)が頓挫した結果の夏の「飧泄」(消化不良による下痢)が述べられている。一般に疾病の発症は内外の環境と密接な関係があり、気象や生活環境を含む外的要因の外に、正気(生命活動を維持し抗病能力を主る基本物質)の充実度や、種々の病的外邪に対する感受性の違いをもたらす体質の違いなどの内的要因があげられる。さらに季節病を考えてゆく上では、病因としてその季節で暴露される因子のみならず、前の季節の内外環境をも考えてゆかねばならない。体内に蓄積、持ち越された熱、寒、水毒や痰飲、瘀血などは、続く季節の疾病発症の内在要因となってゆく。一年の計は春にあり、春の過ごし方がこの一年の健康を保つうえで大変重要なのである。