長いようで短かった介護生活が終わりました。
8月25日(土)の午前4時に母が永眠しました。85歳でした。
いろいろありましたが、最期は穏やかに息を引き取ることができたと思います。
午前2時ごろに激しかった呼吸が静かになり、4時に突然、呼吸が止まりました。
私はしばらく母の顔を見つめていました。
どうしても、まだ息をしているように見えるのです。
スースーという呼吸音も聞こえます。
しかし、それは酸素の音でした。
それで初めて、母と私の闘いは終わったことを感じました。
29日に通夜、30日に告別式となったのですが、父のときと同じように、お別れ会にしました。
お線香をやめて、1人ずつ祭壇に花を置く形式にしました。
音楽は、父のときは童謡を流したのですが、母にはRyuさんの「おとぐすり」を流しました。
これもまた、韓国と日本の童謡ですね。
Ryuさんの優しい歌声のおかげで、とてもいいお別れ会になりました。
父のときもそうだったのですが、音楽が自然と、見事に合ってしまうのですね。
例えば、ナレーションで気仙沼のことを話したあとに、「ふるさと」が流れてきます。
また、母が眠る棺に花を入れるときに、「ゆりかごの歌」が流れました。
そのように編集したわけではないのですが、そのシーンに合った音楽が流れたんですね。
葬儀屋さんが気を利かして、「おとぐすり」の中から1曲だけ選んで、皆で静かに聞くという時間を設けてくれました。
私の希望で、通夜は「ふたり」、告別式は「パラム」(「おとぐすり」の中の曲ではありませんが)を皆で聞きました。
これがとてもうれしかったです。きっと母も喜んでくれたと思います。
告別式のあと、兄の一家と夕食を食べたのですが、帰りに空を見上げると、それはきれいな満月が出ていました。
翌日、母の友達が電話で「ねえ、昨日の月を見た?きれいな満月だったよね。お母さんは月になったんだね」と言いました。
なるほど、確かにそうだ。そうだよね。私もそんな気がしてきました。
これからは月を見るたびに、母のことを思い出すと思います。
ふたり
パラム
8月25日(土)の午前4時に母が永眠しました。85歳でした。
いろいろありましたが、最期は穏やかに息を引き取ることができたと思います。
午前2時ごろに激しかった呼吸が静かになり、4時に突然、呼吸が止まりました。
私はしばらく母の顔を見つめていました。
どうしても、まだ息をしているように見えるのです。
スースーという呼吸音も聞こえます。
しかし、それは酸素の音でした。
それで初めて、母と私の闘いは終わったことを感じました。
29日に通夜、30日に告別式となったのですが、父のときと同じように、お別れ会にしました。
お線香をやめて、1人ずつ祭壇に花を置く形式にしました。
音楽は、父のときは童謡を流したのですが、母にはRyuさんの「おとぐすり」を流しました。
これもまた、韓国と日本の童謡ですね。
Ryuさんの優しい歌声のおかげで、とてもいいお別れ会になりました。
父のときもそうだったのですが、音楽が自然と、見事に合ってしまうのですね。
例えば、ナレーションで気仙沼のことを話したあとに、「ふるさと」が流れてきます。
また、母が眠る棺に花を入れるときに、「ゆりかごの歌」が流れました。
そのように編集したわけではないのですが、そのシーンに合った音楽が流れたんですね。
葬儀屋さんが気を利かして、「おとぐすり」の中から1曲だけ選んで、皆で静かに聞くという時間を設けてくれました。
私の希望で、通夜は「ふたり」、告別式は「パラム」(「おとぐすり」の中の曲ではありませんが)を皆で聞きました。
これがとてもうれしかったです。きっと母も喜んでくれたと思います。
告別式のあと、兄の一家と夕食を食べたのですが、帰りに空を見上げると、それはきれいな満月が出ていました。
翌日、母の友達が電話で「ねえ、昨日の月を見た?きれいな満月だったよね。お母さんは月になったんだね」と言いました。
なるほど、確かにそうだ。そうだよね。私もそんな気がしてきました。
これからは月を見るたびに、母のことを思い出すと思います。
ふたり
パラム
驚きました。
ブログを拝見していると、少しずつ病状が進んでおられるように感じていましたが、
こんなに早く…とは思ってもいませんでした。
ですが、ずっと誠心誠意、お世話なさってこられたこと、
お母様はさぞ喜んでおられたことでしょう。
少し時間がたって、いろいろなことが一段落した頃、
悲しみとお疲れが出てくるのではと心配しています。
しばらくゆっくりなさってくださいね。
急な事で本当に驚きました。
心からご冥福をお祈りいたします。
これから、いろいろ大変だと思いますが、
どうか、くれぐれもお身体を大切にして下さいね。
ありがとうございます。
母も私も限界だったので、これでよかったのだと思っています。
亡くなったあとは、来客や電話の応対に追われ、告別式のあとは、いろいろな手続きに追われています。
まだまだ落ち着きませんので、もうひと頑張りしなければなりません。
体はちょっとしんどいですね~。
だれでも通る道ですから、辛抱します。
体調はいかがですか?
緊張がほぐれて、疲れが出てきている頃でしょうか。
本当に良く、介護されていましたよね。
どうぞ ゆっくり休んで、ご自愛下さいね。
お母様のご冥福を、心からお祈りいします。
ありがとうございます。
なんとかやり遂げることができましたが、ゴールはまだまだ先のようです。
もうひと頑張りしますね。
在宅医療は入院よりもいいとは思いますが、残念ながら人には勧められませんね~。
ありがとうございます。
まだ葬儀屋さんやお客さんも来ますし、市役所などの手続きにも追われていますので、のんびりできませんね~。
病院への挨拶もまだですし、しばらくはこんな状態が続きそうです。
でも母はすべての苦しみや不安から解放されて、本当によかったと思います。
長いようで、あっという間の日々でした。
今にきっと懐かしく思える日が来るのでしょうね。
短くて長い戦いでしたね。
他人は何もわからず、好き勝手なことを
言ったりやったりします。
私もそうです。
tomatoさんにもお母さまにも
無神経ななことを言ったかもしれません。
ごめんなさい。
最期は静かに旅立たれたということだけが
救いです。
気仙沼にお帰りになりたかったでしょうね。
今頃気仙沼の海をご覧になっていらっしゃるかもしれませんね。
tomatoさんはお身体の疲れがとれ
お気力が回復されるまでお辛いと
思いますが、月になったお母さまが
永遠に見守っていらっしゃいますから
どうぞ元気でお過ごしください。
立派にお母さまのお世話を
なさっていたtomatoさんは
すばらしいと思います。
誰にでも出来ることではありません。
大変な時に、私の心配までしていただいて
ありがとうございました。
お陰様で、自宅療養中です。
お元気になられたらまた、お願い致します。
お母さまのご冥福を、心からお祈り申し上げます。
ありがとうございます。
そしてサムさんは、私と母に無神経なことは何も言っていませんよ。
本当にいつも励ましてくださって、ありがとうございます。
サムさんも大変なときに、私のほうにも目を向けてくださって、本当に感謝しています。
サムさん、手術がうまくいってよかったですね。
あとはどうぞ無理をしないように気を付けてくださいね。
私もゆっくり、体の疲れをとっていきたいと思います。
これからもよろしくお願いしますね。