tomatoびより

思いつくままに書いたtomatoのだらだら日記です。

病院にて

2012年03月30日 18時52分37秒 | 日記
ここのところ、母親の咳がずっと続いているので、先日、病院へ行きました。

今までも何回か別の先生にも診てもらったのですが、アレルギー性の咳ということで薬をもらっていました。

しかし、いつまでも続くので、もう一度だけ診てもらって、同じ診断だったら気にしないということにしようと言って、病院へ出かけました。

12時15分の予約だったのですが、呼ばれるまで1時間も待たされました。

そんなに混んでいないのに、何をやっているのか。

やっと呼ばれて、診察室へ入り、いつもと同じように経過を話すと、「レントゲンをとってみましょう」ということになりました。

ここからが大変で、レントゲンをとって、また診察室へ。

そのあと、今度はCTをとって、また診察室へ。

今度は血液をとって、また診察室へ。

そのたびに、各部屋に入るのに、いつまでも待たされ続け、気がつくと4時になっていました。

母親が看護師さんに「お昼を食べていないので、お腹がすいちゃって」と言うと、「そこにあるお茶でも飲んで我慢してください」の一言で終わり。

付き添いの私も、すっかり疲れて、胃が痛いやら、頭痛がするやらで、具合が悪くなりました。

「病院は具合が悪いときは来られないね~」と母親と話しながら、結局、すべて終わり、最後は先生がのろのろとパソコンに何度も入力しなおしながら、大病院への紹介状を書いてくれました。

4時30分ごろにやっと病院を出て、近くのうどん屋で中途半端な食事をしましたが、ホント、もし母親の具合が悪かったら、連れてはこれないなと思いました。

やたら検査をして、不安な思いをさせられ、2人とも元気がないまま帰宅しました。

病院とは、いったい何をするところなのだろう、と考えさせられました。

不安でいっぱいの患者さんを少しでも安心させてあげるのが病院ではないのか。

それなのに、まるで死刑宣告をする場所のようであっては、何のために病院があるのかわかりません。

昨日、母の友達が来て、100歳の日野原重明さんの講演会に行ってきたという話を聞かせてくれましたが、先生が講演で、「医者は一度病気をしてから医者の仕事をしないと、患者の気持ちがわからない」と言ったそうですが、なるほどと思いました。

医学用語で病気の説明をするよりも、少しでも患者の心理を理解し、慰め、癒してあげられる人こそ、名医なのだと思います。

病気を治すのはもちろん大切なことですが、人の心を感じさせる治療をするにはどうしたらよいか、ということも考えてほしいですね。
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今朝

2012年03月16日 11時25分59秒 | 日記
今朝4時過ぎに地震がありました。

突然、ドスンと突き上げるような揺れで、寝ている横にあるタンスがぐらっと揺れたのがわかりました。

ラジオをつけると震度3と言っていましたが、もっと大きかったように感じましたね~。

震源地を聞いて納得。近くじゃないですか。

おとといの晩は、東北と千葉で続けて大きいのがありましたし、これはもう完全に日本の下で、地殻が動き回っているということですね。

おとといの千葉の地震のときは、携帯の緊急地震速報が「ブイーン、ブイーン」と鳴り、ストーブの火を消したり、戸を開けたりと右往左往しているだけで、揺れにはほとんど気がつきませんでした。

ま、確かにガラス戸がガタガタいいましたが、緊急地震速報が鳴ると、その音自体にびっくりして、それどころではなくなってしまいます。

こうなると、大騒ぎしてたほうが怖くないのかもしれませんね。

テレビでも、図を示して学者が説明していますが、どの学者も「覚悟をしてください」といったようなことを言っています。

我慢、我慢。

自然にまかせて暮らすよりほかないですね。

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3.11

2012年03月10日 19時24分37秒 | 日記
明日で東日本大震災から1年になります。

テレビでも、昨年の津波の映像が流されていますが、何度見ても恐ろしくて、長くは見ていられません。

先日、親戚の通夜に行ったとき、「あの映像は見られないよね」と話しましたが、親戚や知人が関係した者にとって、あの映像を見るのは辛いですね。

明日は一日じゅう、震災についての番組が組まれるのでしょうか。


昨年の3月11日は、地震のあと、家に帰れなくなった身内や友人、知人が何人もいて、ただただ心配でした。

余震が怖くて、服を着替えないで寝た夜。

停電、そして、お米を買うために店に並んだり、売り切れのカイロを探したりと、まあ、いろいろありました。

昨夜もまた震度5の揺れが茨城であったそうですが、なかなかおさまらないですね。

日本は、いえ、世界が活動期に入ったのだから仕方ないのでしょうけど、地震はやっぱり怖い。

昨夜、気仙沼の親戚と話しましたが、「なんにもなくなっちゃった」と言っていました。

「泣けちゃうよ」って。

一日も早い復興を、と言っても無理なのでしょうけど、みんなが安心して暮らせる日々が早く戻るといいですね。

明日は静かに過ごしたいと思います。
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