tomatoびより

思いつくままに書いたtomatoのだらだら日記です。

昨日のevery

2020年08月26日 14時36分18秒 | 介護
昨日の夕方のeveryで、羽生選手のインタビューを放送してくれましたね。

勉強を頑張っていたのですね。

卒論を完成させたそうで、よかったです。

早くコロナが収まって、試合での姿を見たいですね。

そんな日が一日でも早く来ますように。



介護

2013年11月19日 09時58分53秒 | 介護
昨日の「TVタックル」は、介護と医療を取り上げていました。

現在、高齢者の介護・医療は厳しい状況です。

国の政策としては、なるべく在宅医療でということのようなのですが、これは現実的にかなり無理があります。

本当は介護は家族がすべきことと思います。

そうでなければいけないのです。

でも、今の日本ではそれが無理になっているのですね。

在宅医療に賛成の出演者たちは、「家族で看る」とやたら言っていましたが、実際は家族がいても、介護をしている人は1人か2人です。

家族が協力して介護をするなんて、ただの理想です。

しかも介護をしている人が高齢であったり、自分も病気であるという状況が現実です。

いつまで続くかわからない介護に絶望的な日々を送っている人たちが多いのです。

病院には90日しか入院させてもらえないと言っていましたが、高齢者の場合、長くて1か月しか入院できません。


出演者のみなさんは、自分たちが介護される立場になったとき、奥さんや子供たちが家で介護し看取ってくれると思っているのでしょうか。

思っていませんよね。病院でと考えていますよね。

あの人たちは、やはり病院で看取られるのでしょう。


先日、糖尿病と胃ガンを患っている旦那さんを介護している知り合いと電話で話したのですが、腸閉塞で入院した旦那さんを「もう介護したくない。私はもう生きていたくないの」と泣きながら言いました。

2週間の予定で入院しているのですが、家に戻ってきたとき、「もう介護できる自信がない」と言っていました。

自分も胃潰瘍で、食欲もなく、夕食を作る気力もないので、「今夜はおむすびを買ってすませるわ」と言うので、大根とカボチャを煮て持っていきました。

元気のない顔を見て、何と言ったらよいのかわかりませんでした。

これが現実です。

ただ、彼女は「もし主人が『ありがとう』と一言、言ってくれたら、私はどんなに救われるか」と言うのです。

つまり、介護されている旦那さんが、感謝の気持ちをまったく示さないことにも、介護が嫌になる原因があるようです。


介護されているかたたちに言いたいです。

どうか、介護してくれている家族のかたに、「ありがとう」と言い、気遣ってあげてください。



昨日の「イ・サン」には泣けました。泣きました。

王様は、無実の息子を罪人にし処刑してしまったことを、ずっと悔やんでいたのですね。

それが王様を一時的に認知症にしたのでしょう。

病気で倒れた王様は、自分の死期を悟り、数人のお供だけを連れて宮殿をこっそり出ます。

そしてソンヨンを呼び、息子の肖像画を描かせるのですね。

「息子は鼻筋がとおり、世孫(イ・サン)に似た素直な目をして…」と、息子の顔をソンヨンに教える場面は涙が出ました。

動物が死期が迫ると、1人になって誰にも知られずに死ぬのと同じように、人間にも自分で死期を知る能力があるのだそうです。

医療に関わらなければ、本当はその死期を自然に知り、眠るように死ねるのだと。

何かの本で読みました。

「イ・サン」の王様の死は、まさに理想的な死であったと言えますね。

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在宅医療

2012年09月13日 19時27分54秒 | 介護
今日は、お世話になった在宅医療の先生のところに挨拶に行きました。

母を看取ってくださったもう1人の先生もちょうど出勤してきたところだったので、挨拶することができました。

あとは訪問入浴の会社の支払いをすれば、本当にすべて終わりです。

先生にも話しましたが、介護しているときは長い日々でしたが、終わってみると、本当に短い日々でした。

もう先生方にも会うことはないでしょうし、いろいろありましたが、今までの日々は思い出にしたいと思います。


最近、テレビや新聞で、在宅医療について取り上げられることが多いですね。

その中で、「やはり死ぬときは家で死にたい」「私は夫を家で看取りたい」などの言葉が聞かれます。

しかし、在宅医療を選ぶときは、患者も家族も、かなりの覚悟が必要だということを知ってほしいです。

病気にもよりますが、母のようにがんなどの場合、家で命にかかわるような恐ろしい症状が出ることを覚悟していなければなりません。

しかもその症状は、たいてい深夜に出るのですね。

そしてその時、病院ならば、ボタンを押せば宿直の医師や看護師が来るでしょうけど、在宅医療の場合は、家族しかいません。

うちのように、呼吸困難で苦しむ母のそばに私1人しかいなかったとき、母はどれだけ不安で恐ろしい思いをしたことでしょう。

電話をしても、深夜では医師は来てくれません。

緊急のときに使う薬を探して、オロオロする私1人しかいなかったときの母の気持ちを考えると、かわいそうでなりません。

やっと先生が到着したとき、安心して眠り始めた母の横顔を見て、母の不安と恐怖を確信しました。

家で死ぬ、家で看取るということは、そういうことなのです。


最期の3日前、先生が私に冊子をくれました。

それには、人間の最期はどのようなものなのかが書かれていました。

先生は、「これから、このようなことが起こります。いちばん最後に書かれていることが起こったら、すぐに医師に連絡してください」と言いました。

そのとき、最期を看取るのは医師ではなく、私なんだなと、はっきり感じました。

在宅医療は確かに家にいられるという点ではいいかもしれませんが、どうやって患者の不安や恐怖を取り除くのかが課題なのかもしれませんね。

うちの場合は病気ががんだったので、在宅医療ではなく、在宅緩和ケアで、がんの辛い症状だけを取り除いて、少しでも有意義な日々を過ごせるようにするというのが目的の医療でした。

確かに辛い症状であった咳や呼吸困難は、かなり抑えることができましたが、結局、あの大量の薬に負けたしまったような気もします。

といって何もしなければ、辛い咳の症状に悩まされたでしょうし。

「入院していたら見られないことが在宅医療だと見られるんだよ」と先生に言われました。

確かに最期の2日前には、ふだんとは違う母を見ました。

入院している患者さんは、あのような行動、言動を、だれにも見られずに死んでいくのだそうです。

どんなことだったかは書きませんが、それも1つの思い出として大切にしたいと思います。

そして、しばらくの間続いた介護日記もこれで終了です。

ホント、長かったけど、終わってみればあまりに短い日々でしたね。

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要介護4

2012年09月11日 19時20分24秒 | 介護
数日前、母の新しい介護保険証が届きました。

要介護4でした。

母が亡くなる4日前ぐらいの調査でしたから、要介護2というわけにはいかなかったのでしょう。

今日は、要介護4になったことから、書類作成のためにケアーマネージャーさんが来ました。

簡単な書類に印鑑をいくつか押しただけですぐに終わりました。

新しい介護保険証は、ケアーマネージャーさんが市役所に返却してくれるそうで、ほっとしました。

母にお線香をあげてくれたあと、「じゃあ」と言って帰っていくケアーマネージャーさんを見送るのは、とても寂しかったです。

毎日のように、あんなにたくさんの人が出入りしていたのに、今日が最後です。

去っていく車を見送っていて、なんか胸がじーんとしてしまいました。

長かった日々が、あっという間に短い日々に変わりました。

せっかく出会った人たちとも、これでお別れ。なんか、ものすごく寂しいです。

家に残っていた紙おむつやトイレシートなどを、ケアーマネージャーさんに持って行ってもらいましたので、家の中はかなりがらんとしてきました。

片付いたというよりも、がらんとしたという感じです。

今日から仕事も忙しくなりました。

自分の生活が戻ってきます。

だるいなんて言っていられませんね。

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ピアノ教室に予約

2012年09月05日 20時26分20秒 | 介護
5月に行って以来、ずっとお休みしていたピアノ教室に今日電話をし、来週のレッスンを予約しました。

早く何かしたい、何かしなければ。

そんな気持ちがあるせいか、練習もしていないのに、さっさと予約だけしてしまいました。

しかし、午前中、買い物の帰りに、強い日差しを浴びて歩くうちに、体がしんどくなりました。

えー、なんでこんなに疲れるの?

心はどんどん前へ向かっているのに、体がついてこない。

自分の体にイライラしますね。

家へ帰ると、お世話になった在宅医療のクリニックから8月分の請求書が届いていました。

「おちからになれることがありましたら、予め予約してクリニックへおいでください」とあります。

母が亡くなったときも、体調がすぐれないときは、相談にのりますと言われましたね。

相談にはのってほしいですが、母のときのように、また「薬を飲みなさい」では嫌ですよ。

そのクリニックに、挨拶に行こうと思うのですが、何を持っていったらよいものか。

母にさんざん勧めたゼリーを持っていったら皮肉になるかしら。
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