金正恩氏の母親の真実?
紘一郎雑記長
産経の気になる記事より
金正恩氏の母親は、金総書記の“3番目の妻”とされ、2004年に死亡した故・高英姫(コ・ヨンヒ)さんです。大阪出身の在日朝鮮人で、1959年から始まった「帰還事業」で、家族とともに北朝鮮に渡ります。その後、国立万寿台芸術団に入り舞踊家となります。
高英姫さんは将来、北朝鮮の最高権力者となる後継者、正恩氏を産んだ、いわば“国母”のような存在です。数年前から、金総書記の後継者として、正恩氏が実兄の正哲(ジョンチョル)氏とともに名前が取り沙汰されていました。日本のメディアは当時こぞって英姫さんが大阪に住んでいた頃の様子を知ろうと躍起でした。
そして、なぜか日本メディアの間では、高英姫さんの父親は柔道家で日本では「大同山」というプロレスラーとして活躍した高太文(コ・テムン)氏というのが定説となりました。高太文氏は韓国済州島出身で、帰還事業で北朝鮮に渡り、また同氏には英姫さんと同じ年頃の春幸(チュネン、「春行」説もある)さんという名の娘がいて、英姫さんと同時期に万寿台芸術団に所属した舞踊家でした。
日本メディアや専門家らの多くが、この春幸さんが高英姫と同一人物と見ていました。北朝鮮に渡ってから、出身成分(身分)が低くみられる「在日」であることがばれないように「春幸」から「英姫」に名前を変えたと解釈されていました。
この定説に最初に異を唱えたのが、韓国の諜報機関「国家情報院(国情院)」です。2006年末、「高英姫は、高太文氏の娘ではなく、高ギョンテク氏の娘」と、日本で定説となっている情報が誤っていることを指摘しました。高太文氏と高ギョンテク氏には共通点が多く、日本のメディアや専門家らは混同してしまったようです。
ここで高英姫さんに関する国情院の情報をまとめておきます。英姫さんは1952年生まれで、父親は高ギョンテク(1913年生まれ、1999年死亡)ということです。1951年生まれの兄、56年生まれの妹がいることになっています。
では正恩氏の母方の祖父とみられる高ギョンテク氏はどんな人物なのか?という謎が残ります。韓国のネットメディア「デイリーNK」の高英起・日本支局長が、北朝鮮の宣伝グラフ誌「朝鮮画報」1973年3月号の「帰国者だより」の中に、その謎を解くヒントを見つけました。
同誌によると、高ギョンテク氏は韓国済州島の船頭の三男に生まれ、1929年に日本に渡り、大阪の「広田裁縫所」で働いていました。日本人からひどい差別を受け、失業。その後、北朝鮮に渡ったたそうです。北朝鮮では咸鏡北道にあるミョンガン化学工場の労働者として働いていました。
同誌には、高ギョンテク氏の家族として、金策工業大学に通う長男、ドンフン氏、商業高校を卒業し販売員となった長女、スンヨンさん、高等中学校を卒業した次男、テグン氏、咸興薬学大学に通う三女、ヨンスクさん、幼稚園に通う四女、ヨンスンさんが登場します。
そして、さらに同誌には高ギョンテク氏の次女、ヨンジャさんが「金日成主席の配慮によって国家授勲の栄誉をにない、表彰までされた」と記されています。ヨンジャさんは、無料で奨学金まで受けながら音楽舞踊大を卒業し「功勲俳優」になったそうです。高支局長によると、このヨンジャさんこそが高英姫さんに違いないというのです。
勲章を受章したのは1972年。当時、高英姫さんは20歳という若さで異例なことです。英姫さんは翌年、万寿台芸術団のスターとして日本で来日公演を行っています。この頃、英姫さんはすでに金総書記と出会い、特別な恩恵を受けていた可能性は十分にあります。
同誌では、ヨンジャとカタカナ表記されていますが、漢字に直すと「英子」などが考えられます。日本統治時代は朝鮮の人でも、自分の娘に日本風に「○子」という名前をつけることがありました。
高支局長によると、北朝鮮では日本から解放された1945年以降、女性の名前に日本風の「○子」をつけないよう指示を出し、すでに使っている女性には改名するよう指示を出したそうです。高英姫さんも北朝鮮に渡ってから名前を変えたことが考えられます。
また高英姫さんには実際、英淑(ヨンスク)さんという実妹もいます。英淑さんは2001年、夫ともにスイス駐在米国大使館を通じて米国に亡命したとされます。英淑さんは1990年代後半からスイスなどに滞在し、正哲氏や正恩氏の留学の世話をしていたという話もあります。朝鮮画報には高英姫さんの実妹とみられるヨンスクさんの若き日の写真も掲載されています。英姫さんに直接会った人は、ヨンスクさんの写真を見て「(英姫さんの)若い頃の写真ではないのか。本人そっくり」と証言しているそうです。
今回の発見が事実とすれば、ベールに包まれていた正恩氏の母方の家族が明らかになったことになります。北朝鮮ではロイヤルファミリーに関する話はタブー視され、一般の住民はほとんど何も知らされていません。40年ほど前の朝鮮画報に、正恩氏の母方の祖父母や親族の姿が写っているということになります。また「元プロレスラーの娘」と“別人”にされていた高英姫さんが、本来の姿を取り戻したことになるかもしれません。