紘一郎雑記帳

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1941年12月7日深夜の御前会議 紘一郎雑記長

2011-12-07 04:37:56 | Weblog

1941年12月7日深夜の御前会議 
紘一郎雑記長 産経新聞参照 
”70年前の検証”7日・9日・10日・11日に分割投稿

わずか2時間 望まぬ結末

昭和16年(1941年)12月7日深夜。天皇拝謁を終えた外相の東郷茂徳は皇居前広場に立ち空を見上げた。砂利の音だけが響く静寂に包まれていた。東条内閣発足以来1カ月半に及んだ日米交渉。「国民のため、全精神を傾倒した。この上は天の感得せられるところだろう」。望まなかった「結末」が数時間後に控えていた。



 「著しき退歩で、交渉経緯を全然無視した不当なものと認めざるを得ない」。6日前、「ハル・ノート」手交を受けた12月1日の御前会議。開戦反対の最強硬派だった東郷も、もはや日米交渉継続を訴えることはできなかった



 「全将兵は士気極めて旺盛」(軍令部総長、永野修身=ながのおさみ)、「忍耐努力は皇国臣民にして為(な)す能(あた)わずということなし」(蔵相、賀屋興宣=かやおきのり)。首相の東条英機が「挙国一体必勝の確信を持し、戦争目的を完遂する」と締めくくった。正式に開戦を決めた歴史的会議はわずか2時間で散会した。



 その後1週間は穏やかな空気が流れる。「今日の(駐米大使と米国務長官ハルの)会見は割合朗らか」(7日付朝日新聞夕刊)。開戦決意を米側に悟られないよう、言論工作も行われていた。開戦前夜、東条は布団に正座したまま慟哭(どうこく)したという。「12・8」は静かにその時を迎えた。 歴史が変ろうとする朝であった。