紘一郎雑記帳

多くの講師の講演から面白い情報をお届け癒します。

江戸の時計師のものすごい技術 日本人の凄さ!!

2011-08-29 07:36:47 | Weblog

【逍遥の児】
江戸の時計師のものすごい技術
紘一郎雑記張

「高岡昭一氏より面白いメールを頂戴致しました
投稿いたします」

夏。江戸の風情を感じる。
墨田区向島界隈(かいわい)にある
「セイコー時計資料館」。
古今東西の時計と資料を集めている。

 鈴木旻(あきら)館長が案内してくれた。
明快な語り口。
欧米で活躍した国際派ビジネスマンだ。

 「時計の歴史は古い。6000年前、
古代エジプトで日時計が
用いられるようになりました」

当時の日時計は、地面に棒を立て、
太陽がつくる影と長さで時を知った。
古代文明発祥の地、エジプトを含む北半球では、
棒の影が右回りに動いていく。
その影響で現代に至るまで時計の針は
右回りとなったという。

 日本では、西暦671年6月10日、
天智天皇が漏刻(水時計)を設置。
鐘や太鼓で時を告げた。
この日にちなんで大正時代、
6月10日を「時の記念日」と定めたという。
なるほど。

日本ではさまざまな時計が開発された。
風雅なのは香盤時計。
火鉢ほどの大きさのきれいな箱に灰を敷き詰める。
香をジグザグ状に置き、着火する。
香は一定の速度で燃えていくので、
時刻を知ることができた。

 「しかも、あらかじめ、一定の単位で香の
種類を変えていたようです。
香盤のなかをのぞき込まなくても、
香りの変化で時刻がわかったのです」

 セイコー時計資料館は、
和時計のコレクションを誇る。

徳川将軍家や大名家に伝わった豪華な置き時計。
葵の御紋など家紋入り。
美しい。その数は200台を超す。

 江戸時代、日本人は夜明け(明け六つ)と
日暮れ(暮れ六つ)を時刻の基準とした。

昼と夜をそれぞれ6等分して一刻(いっとき)とする。
季節によって昼と夜の長さが違うので
一刻の長さも異なる。かなり複雑だ。

 江戸時代の時計師たちは、画期的な2本の
「てんぷ」(時計の調整器)付き機械装置を考案。
昼と夜、自動的に切り替わる時計を発明した。
しかも、目覚まし機能も付いているという。

 -音を聞いてみますか、と鈴木館長。はい。
聞きたいです。

 「ちりちりちり…」

 現代の目覚まし時計とほぼ同じ音が鳴った。
江戸の時計師たちのすごさ。新鮮な驚きだった。


 時計が発明されるまで、
時間はすべて不定時法だった、
日の出を午前6時、日の入りを午後6時とし、
 ヨーロッパで、時計が発明され、
定着するまでは相当な不便があったに違いない。
 時計は定時法で、時計がないところは
不定時法だったに違いないからだ。

 ところが日本では
、複雑なからくりで不定時法に対応した
和時計を開発してしまった。江戸時代のことである。

 江戸時代に時計の製造国だった日本が
SEIKOやCITIZENを生み出したことには
何の疑問もない。