紘一郎雑記帳

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高杉晋作を支えたもの?「第1部」 海原徹氏講演録 紘一郎雑記帳

2011-08-08 04:32:14 | Weblog

高杉晋作を支えたもの?「第1部」 
海原徹氏講演録 
紘一郎雑記帳

海原徹氏 京都大学名誉教授 教育学博士
      吉田松陰や松下村塾研究の第1人者

今日より連続して「海原先生の講演録」
【高杉晋作を支えたもの】を投稿致します

晋作の性格を物語る逸話がある
まだ、子守の背中に負われていたころ
城下の子供達が一様にに怖がる
金比羅大権現の巨大な天狗の面を
晋作だけは怖がらず、見に行ったとか
誤って晋作の凧を踏みつけた侍に
腹を立てて泥を投げつけたとか
罵ったとかという類の話があります。

又、罪人の首切りを見に行き、いざ
首切りが始まると友達は、皆驚いて
逃げ帰るのに、晋作は握り飯を食べながら
最後まで見ていたという豪胆ぶりが語られている。

幼い頃は良く風邪をひき、熱を出していたというが
10歳のころ痘瘡を患い、2ケ月ほど寝込んだが
それ以外はおおむね健やかに成長している。

7歳で藩校明倫館の小学者に入学
16歳で大学寮へ進学したが、
文学よりもむしろ武術に興味があり
剣術の稽古に熱中した、様で一時は
将来は剣術で身を立てる考えもあったのです。

 その晋作が吉田松陰に弟子入りしたのは
19歳のときで、松陰は嘉永7年(1854年)3月
下田沖に停泊中のぺりーの軍艦でアメリカ密航を
企て失敗し、野山獄に約1年間入獄している。

晋作はこのころ生家にに戻り、
謹慎処分となっていました。

親戚の高杉家の嫡男が大罪人(松陰)の
塾(松下村塾)に学ぶなど、とんでもない!と
いう声に逆らい、夜遊びに行くふりをして
密かに松蔭の元に通っていたのです。

松陰に学んだのは、約1年間に過ぎないが
松下村塾自体が2年と10ケ月しか存続
していないので、晋作はむしろ熱心に
学んだ弟子の一人だったといえるのです。

松陰が晋作をはじめに弟子たちに
繰り返し説いていたのは
【学者になっては駄目だ、
人は実行が第1である、
生涯に何か一つ仕事を
やりとげなければならない】
という事でした。

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この松陰先生の教えに晋作は
どう学んだのか?
続きは第2部にて投稿