「てめえこの野郎っ!」
・・・はいはい、「てめえ」は人称代名詞、「この」は指示語ですが連体詞、「野郎」は普通名詞です。
息子の中間テストが近づいています。今回の国語の試験範囲に、品詞分解があります。国語が専門の元塾講師としては実に懐かしくてしかも楽しい単元です。
それにしてもこの「国文法」というやつは、本当に無意味だと思います。いったい日本人の大人の何割が覚えているでしょう?
「もし」の品詞を詳しく答えなさい。・・・答えは「叙述の副詞」。これも中2レベル。
大人になったら、こんなことを知らなくてもまったく困らないばかりか、むしろ知っていることに孤独感さえ感じる。
しかし、この国文法こそが、塾の国語の真骨頂なのです。なぜなら、こんなものは日常に無いので、教わらないと絶対にわからない。それなのに学校ではあまりきちんとやってくれない。一方、塾では解法テクニックが確立されている分野なのです。
実は、究極的には国語はやはり「センス」の部分がどうしてもある。だから英語や数学のように、簡単に点数をとらせてやることは難しい。そんな国語の中にあって、文法だけはそれができる数少ない分野だということです。
だから張り切って教えるわけですが、しかしそもそも日本人がまったくわからない「日本語の規則」に何の意味があるのかは、考えこんでしまうのです。
登山は、「そこに山があるから」。勉強は、「もうすぐテストがあるから」。
・・・そんなもんですね。考えるひまがあったらやるしかない。
「さあ、とりあえず飲もう。」
・・・「さあ」は感動詞、「とりあえず」は副詞、「飲も」は動詞、「う」は助動詞。
・・・はいはい、「てめえ」は人称代名詞、「この」は指示語ですが連体詞、「野郎」は普通名詞です。
息子の中間テストが近づいています。今回の国語の試験範囲に、品詞分解があります。国語が専門の元塾講師としては実に懐かしくてしかも楽しい単元です。
それにしてもこの「国文法」というやつは、本当に無意味だと思います。いったい日本人の大人の何割が覚えているでしょう?
「もし」の品詞を詳しく答えなさい。・・・答えは「叙述の副詞」。これも中2レベル。
大人になったら、こんなことを知らなくてもまったく困らないばかりか、むしろ知っていることに孤独感さえ感じる。
しかし、この国文法こそが、塾の国語の真骨頂なのです。なぜなら、こんなものは日常に無いので、教わらないと絶対にわからない。それなのに学校ではあまりきちんとやってくれない。一方、塾では解法テクニックが確立されている分野なのです。
実は、究極的には国語はやはり「センス」の部分がどうしてもある。だから英語や数学のように、簡単に点数をとらせてやることは難しい。そんな国語の中にあって、文法だけはそれができる数少ない分野だということです。
だから張り切って教えるわけですが、しかしそもそも日本人がまったくわからない「日本語の規則」に何の意味があるのかは、考えこんでしまうのです。
登山は、「そこに山があるから」。勉強は、「もうすぐテストがあるから」。
・・・そんなもんですね。考えるひまがあったらやるしかない。
「さあ、とりあえず飲もう。」
・・・「さあ」は感動詞、「とりあえず」は副詞、「飲も」は動詞、「う」は助動詞。
よく国語のテストでありましたね~。「そんなの作者に聞けよ」とよく思ってましたが、らしい答えをでっち上げる(笑)のは結構得意でした。
以前椎名誠(だったかな?)が、自分の文章がテストで使われて、上のような設問の模範回答を見て、思ってもいない答えでビックリしたと書いていました。
そんなものなんですね。考えてみれば、夏目漱石に「ここはどういう意図で書いたんですか?」と聞ける訳もないし。
私は国語は得意な方でしたが、特に勉強した覚えはないんですよね。本が好きだったこと、これが全てです。
そうなんです。読解なんて、本当のところは作者にきいてみないとわからないのです。でもそれができないから、本来は読む人の自由にゆだねられている。だから面白いはずなんですね。音楽みたいに。
要は「何と答えてほしがっているのか?」を見抜くという訓練なんです。設問を作った人の気持ちを「読解」するわけですね。つまり「独りよがりの人に付き合ってあげる」…そういう、大らかな気持ちを育てるという効用が国語の勉強の意味なのです。つまらないと感じる人が多いのも無理ありません。
…でも、これもまた大切な能力ですよね。