津波被害の責任は?
2015/02/14
仙台の海岸近くの自動車教習所で、津波の被害を受けた生徒の親は、教習所が避難させなかったことが原因で死んだと訴え裁判になりました。
判決は、教習所は、津波の来ることを予測出来た。その対策をしなかったのは殺人罪に相当するとして、26人の被害者に19億円の賠償金を払えと判決しました。
自然災害の被害なのに、管理者にすべての責任ありという考え方は、前例となって、被害者は絶対の善・責任者は絶対に居る・その責任者は悪である、という日本的考え方になりそうで怖いです。
自然災害だから、罪の8割は免除するとかの配慮でもあれば納得できそうですが、死んだ子供を金に換える汚い結論です。
同じ津波で死んだのに、管理者が居る立場の被害者は、管理者から金をむしり取り、管理されていない一般市民は、何の御見舞金もない、そんな差別があって良いのでしょうか?
裁判は黒白の結論を出しますが、出さなくて、結論は分からないという判決も必要と思います。
有明海諫早干拓の水門が海水汚染の原因であるとの訴えに、裁判所は理論的にも実験的にも、分からないことに、干拓が悪と結論付けています。
判事は神様ではないのですから、「解らない」という結論でも良いと感じます。
左翼的傾向の判事は、弱い者の味方になり、弱者は正義、強者は悪と決めつけています。
上級裁判所があるから、いい加減な判決でも、間違っていたら訂正されるなどと考えて、いるのではないですか?
アメリカでも黒人青年を射殺する警官の裁判で、無罪が続きデモが起こり、社会問題になっています。裁判が絶対に正しい神の代理ということはないのですから、判事は思い詰めなくて、常識的判断を言うべきです。
一般的に裁判になるような事柄は、一方的に、片方が悪いということでもないでしょうから、大岡越前の三方一両損のようないい加減な判決をすべきです。
坂岡真の時代小説「のうらく侍」は金銭トラブルの裁判官の仕事をしています。正しいと思う判決をしますが、トラブルは拡大し、最終的には、刀によって不正を正す結論になります。同じく坂岡真の「鬼役」シリーズも、不正を正すには粛清しかないとして、暗殺を仕事とします。
こんな小説が流行り、面白いと思うのは、実際の裁判が訳の分からない判決でそれをマスコミは正しいと持ち上げるからでしょう。
2015/02/14
仙台の海岸近くの自動車教習所で、津波の被害を受けた生徒の親は、教習所が避難させなかったことが原因で死んだと訴え裁判になりました。
判決は、教習所は、津波の来ることを予測出来た。その対策をしなかったのは殺人罪に相当するとして、26人の被害者に19億円の賠償金を払えと判決しました。
自然災害の被害なのに、管理者にすべての責任ありという考え方は、前例となって、被害者は絶対の善・責任者は絶対に居る・その責任者は悪である、という日本的考え方になりそうで怖いです。
自然災害だから、罪の8割は免除するとかの配慮でもあれば納得できそうですが、死んだ子供を金に換える汚い結論です。
同じ津波で死んだのに、管理者が居る立場の被害者は、管理者から金をむしり取り、管理されていない一般市民は、何の御見舞金もない、そんな差別があって良いのでしょうか?
裁判は黒白の結論を出しますが、出さなくて、結論は分からないという判決も必要と思います。
有明海諫早干拓の水門が海水汚染の原因であるとの訴えに、裁判所は理論的にも実験的にも、分からないことに、干拓が悪と結論付けています。
判事は神様ではないのですから、「解らない」という結論でも良いと感じます。
左翼的傾向の判事は、弱い者の味方になり、弱者は正義、強者は悪と決めつけています。
上級裁判所があるから、いい加減な判決でも、間違っていたら訂正されるなどと考えて、いるのではないですか?
アメリカでも黒人青年を射殺する警官の裁判で、無罪が続きデモが起こり、社会問題になっています。裁判が絶対に正しい神の代理ということはないのですから、判事は思い詰めなくて、常識的判断を言うべきです。
一般的に裁判になるような事柄は、一方的に、片方が悪いということでもないでしょうから、大岡越前の三方一両損のようないい加減な判決をすべきです。
坂岡真の時代小説「のうらく侍」は金銭トラブルの裁判官の仕事をしています。正しいと思う判決をしますが、トラブルは拡大し、最終的には、刀によって不正を正す結論になります。同じく坂岡真の「鬼役」シリーズも、不正を正すには粛清しかないとして、暗殺を仕事とします。
こんな小説が流行り、面白いと思うのは、実際の裁判が訳の分からない判決でそれをマスコミは正しいと持ち上げるからでしょう。