死ぬまでに
2016/08/04
5月の末に、久しぶりに広見さんと会食をしました。
広見さんは、75歳、安川電機に42歳まで勤め、独立して機械設計事務所の仕事をし、62歳から72歳まで、タイ国でロボット据え付けの仕事をし、一人で波乱万丈の生活を送られました。
「渡辺さんは、死ぬまでに、これをしたいという事がありますか?」と訊かれました。
私は、何をしたいか?と考えて、今までも、今も、そんな目的は持ったことがないことに気付きました。
エレベストに登りたい。アメリカに行きたい。どんな記録を出したい。そんなことを死ぬまでにしたいなど考えたこともありません。
中学校卒業文集に、「将来の夢」と短文を書くことがありました。私は、「サラリーマンになりたくない」と書いた事を思い出します。父親から、「サラリーマンにならないで何になるのか?先生だってサラリーマンだぞ」と言われました。当時は、ゴム園の経営、クラ地峡運河の建設などの夢はありましたが、土木技師、請負師などが自分のイメージでした。
「死ぬまでにあれをしたい」という意志も気持ちもない私に比べて、広見さんは若さがあるなと感じたことです。
私は、若い頃から、年寄臭く、あまり、旅行やスポーツもしませんでした。
あまり、将来の理想がないから、現状の仕事に不満もなく、毎日がその日暮らしでも楽しかったと思います。良く解釈すれば、「現在に生きていた」ようにも感じます。
政治家も、小泉さんのように「自民党をぶっ壊す」目標の人もいれば、安倍さんのように、現状改革のために、増税延期する人もいます。安倍さんのやりかたは、野党や麻生さんの教条主義を離れた現実主義と感じます。
若い人には、夢を沸かせて、元気よく生きてもらいたいですが、理想社会を作るための革命などは、すぐ教条主義になり、宗教対立・人種対立・反権威・労働争議などに変化してしまうようです。
私の目標は?と考えると、「このブログを毎日書き続ける」こと、それはボケずに、観察し考え、自分なりの意見を持つことですかね?
子供たちのために、少し位残してやりたいとも思いますが、宝くじでも当たらぬとどうにもなりません。。宝くじを買い続けようかな? 宝くじは一種の寄付でもありますし、夢を見ることでもあります。
2016/08/04
5月の末に、久しぶりに広見さんと会食をしました。
広見さんは、75歳、安川電機に42歳まで勤め、独立して機械設計事務所の仕事をし、62歳から72歳まで、タイ国でロボット据え付けの仕事をし、一人で波乱万丈の生活を送られました。
「渡辺さんは、死ぬまでに、これをしたいという事がありますか?」と訊かれました。
私は、何をしたいか?と考えて、今までも、今も、そんな目的は持ったことがないことに気付きました。
エレベストに登りたい。アメリカに行きたい。どんな記録を出したい。そんなことを死ぬまでにしたいなど考えたこともありません。
中学校卒業文集に、「将来の夢」と短文を書くことがありました。私は、「サラリーマンになりたくない」と書いた事を思い出します。父親から、「サラリーマンにならないで何になるのか?先生だってサラリーマンだぞ」と言われました。当時は、ゴム園の経営、クラ地峡運河の建設などの夢はありましたが、土木技師、請負師などが自分のイメージでした。
「死ぬまでにあれをしたい」という意志も気持ちもない私に比べて、広見さんは若さがあるなと感じたことです。
私は、若い頃から、年寄臭く、あまり、旅行やスポーツもしませんでした。
あまり、将来の理想がないから、現状の仕事に不満もなく、毎日がその日暮らしでも楽しかったと思います。良く解釈すれば、「現在に生きていた」ようにも感じます。
政治家も、小泉さんのように「自民党をぶっ壊す」目標の人もいれば、安倍さんのように、現状改革のために、増税延期する人もいます。安倍さんのやりかたは、野党や麻生さんの教条主義を離れた現実主義と感じます。
若い人には、夢を沸かせて、元気よく生きてもらいたいですが、理想社会を作るための革命などは、すぐ教条主義になり、宗教対立・人種対立・反権威・労働争議などに変化してしまうようです。
私の目標は?と考えると、「このブログを毎日書き続ける」こと、それはボケずに、観察し考え、自分なりの意見を持つことですかね?
子供たちのために、少し位残してやりたいとも思いますが、宝くじでも当たらぬとどうにもなりません。。宝くじを買い続けようかな? 宝くじは一種の寄付でもありますし、夢を見ることでもあります。