朝礼の話題

見たり読んだりして、感じたことを朝礼で話しています。この頃は仕事の話は少なくなりました。

美しい国 日本を作ろう

2008-01-12 15:44:21 | 21世紀
「ものづくり」精神2008/01/12
平成19年を象徴する漢字として「偽」が採用されました。
 牛肉・耐震・年金・自動車クレーム隠し・食品賞味期限偽装などが報じられ、嫌な国だなぁと思わされる年でした。
 平成生まれも今年は成人式、昭和も20年で一区切りだったし、平成もこの20年で「偽」から脱却せねば との思いを新たにしました。

この偽装事件は、日本のものづくりの伝統を忘れた結果だと思います。
 私達はものづくり いわゆる製造業で働いています。
 製造業は、偽装やごまかし・うそつきがあっては、成り立ちません。
 そんなことしたら、ちゃんとした製品は出来ず、会社は倒産するでしょう。

 日本の国が、他の国と違って安定しているのは、ものづくりの伝統・精神があったからだとつくづく思います。
 その理由を挙げてみますと、
① 嘘つきを淘汰する常識が出来る。
② 製造の現場には、製造の責任者がちゃんと会って、部下はその責任者の統制で生産する
(昔は、製造現場以外でも、立場立場で責任者がハッキリしていた。
③ 製造の世界では、加工の方針・施工の方針は責任者が決める。多数決とか作業員の都合で変更はされない。
④ 製造は基本的に、自分の手・身体を動かして行う。
⑤ 製造の現場では、自分が動かず、他人に仕事を押し付ける方式は嫌われる。
欧米・中国・韓国では、身体を動かしてものを作るのは奴隷の仕事とされています。韓国では両班の習慣も残り高学歴エリートのみが偉いとされ、受験戦争・大卒失業者の社会現象もあります。
⑥ 製造業では、お客さんがその製品を使って心地よくなることを製造の目的とします。
お客さんが心地悪ければ、その製品は売れ行きが悪いでしょう。アメリカ・中国では、売れなければダンピングが先で、製品を使いやすいように改善する発想にならないようです。(設計と製造は別)
⑦ 製造業ではお客様のことを考え、継続的に生産します。ですから信用を大切にしています。「老舗企業」という本によりますと、100年以上の歴史を持つ企業の数は、圧倒的に日本が多いそうです。
⑧ 製造業は、原料に付加価値を付ける仕事であって、常に努力が要ります。そして行き着く先は芸術品になります。
安物使い捨てという分野もありますが、それも材料の節約・使い易さの追求にと進歩させています。

お役所や政治の世界に不祥事が多いのは、製造の素養がないからだと私は思います。
ものづくり精神を、日本の国是として学校・お役所・政治に生かせば、日本は、美しい国になると感じます。
テレビの政治家の座談会番組がありますが、相手の話を聴かず、相手の話を遮って自分の話をするのが当たり前になっています。その場の目的は何かなど忘れて自分の宣伝をいいつのる政治家は恥ずかしくて見ておれません。

1+1=2, 2x2=4という自然の法則を持って仕事をしている製造業が力を発揮出来ない日本は、アメリカ・中国に遅れをとるでしょう。

私達は製造の現場にいます。ここで修行しものづくりの心構えを身につけることは大切なことです。
私達一人一人がものづくりの習慣に染まることは、会社・社会の発展につながり、個人としても成長することと私は考えます。

まとめますと
●うそをつかない。
●自然の法則で考えよう。
●自分で身体を動かして仕事しょう。
●責任を他人に押し付けない。

のがものづくりの精神であり、美しい国日本の基本的考えと思います。

「おしん」再放送をみました。

2008-01-12 10:50:33 | 21世紀
「おしん」再放送を見ました。
正月休みに13時から20時まで4日間「おしん」を28時間観ました。
田中裕子が主役の戦中部分です。あまり面白いものではありませんでした。
  
 小林綾子主演の子供時代は、縁あって2度観て、無心の演技に感激しましたが、それ以降の部分は見る機会がありませんでした。

 おしんが辛抱して頑張る姿に、日本の未開発国時代はこんなものでその結果が現代の発展した日本だと、外国で宣伝として放映されていたと聞いています。
 成功するためには、何事も辛抱がいるという教訓で、戦前の日本を知るいいドラマだとイメージし、何時か観たいと思っていました。

 私の平成20年に観ての感想は、時代がどうだと言うより、「おしん」は所謂サゲマンであって、関わったすべての人を不幸にした女である、こんな女に触れてはいけない と言うことです。
 田中裕子が美人で、苦労している姿は同情され、皆からヒイキにされるけれど、もし、おしんが、兄嫁のおとらさんの容貌だったとしたら、疫病神として扱われるだろうと思います
 「君の名は?」で真知子さんが、全国の色んな所を旅して生活したように、山形・酒田・佐賀・伊勢・東京と不自然に移動します。
 そして、【風と共に去りぬ】のように色んな男性・女性と交際しますが、意図しないまま、おしんはスカーレットのように、関わりあう人をすべて不幸にしてしまうのです。
 作者の橋田寿賀子は、苦労して生き残る「おしん」を偉い見本・まわりの苦労して失敗する人を馬鹿な見本として、これでもかこれでもかと不幸に落とします。

 加賀屋のおかよさんは、売春婦に落ちおしんに会って死んでしまいます。
 雄三さんは、おしんと結婚し、満州に行くというのを、おしんに止められ、伊勢で魚屋になりますが、自殺することになります。
 長男の雄は、行きたい士官学校に行くことをおしんに止められ、京都大学から学徒動員され、フィリッピンで餓死します。

 おしんは、言わば逆張りで相場を張っている。その思惑ははずれ、ロスカットもしていないままなので悲劇になってしまいます。

 おしんの亭主雄三は、三男坊で、土地もなくおしんが佐賀で奴隷のように扱われるのに発奮し、干拓事業で土地を手に入れようとします。
 その干拓事業が台風で流され駄目になったのが不幸の始まりとされますが、
干拓の最初の工事は、捨石堤防作りです。堤防が出来上がったあと水門を閉じ、海水が入らないようにして完成です。
 江戸時代以前から行われている有明海の干拓で、台風で流される堤防などありそうもない話に思えました。広さにもよりましょうが個人が手を出す仕事ではなさそうです。


 おしんは、ヤオハンを作った、和田一夫さんの母「カツ」さんがモデルと言われていましたが、失礼な話です。カツさんは、こんな運の悪い人ではありません。
 この戦中時代のおしんを見ていますと、橋田寿賀子の人間観が見えるようです。「渡る世間は鬼ばかり」の登場人物が日本人の典型だと言っているようです。

 しかし、観ていると次はどうなるだろうと観てしまうのは、ドラマ作りが上手なのでしょうね。
 劇の雰囲気は、「大石 静」さんの方が好きですね。

 あぁ 損した!