福岡市を知る&学ぶ&楽しむ!子連れおでかけと地域史を学び続ける日々

大好きなまち~福岡市~での育児やおでかけと、福岡市の地域史を知り次の世代に伝えたいと学び続ける日々を綴ります。

ひとまず・・・・・歴史ごとの 地図の試作・・・一回目!

2011年11月22日 20時28分25秒 | 鴻臚館跡・福岡城址・舞鶴公園(歴史)
今日は 歴史ごとの地図づくりに ちょっとばかり時間を費やしました。

鉄は熱いうちに打てっ!
せっかく日曜に 鴻臚館跡へ ふうふの社会科見学に行ったのだから・・・何らか熱さが残っているうちに、一度作ってみなくてはっ。

・・・・・・・・・さて。
何をどう写真載せようかなぁ??

鴻臚館跡、球場のバックスタンド(ですっけ?)の下から発見されてから・・・もう20年ちょい?もうちょっと?!経っているんですよね。
私は 発見当時は 長崎県民で・・・実は そのニュース、覚えがないのです(^_^;
す、すいません(大汗)
でも ほかのまちの人に紹介するんだったら・・発見当時の熱気も 伝えたほうがいいんだろうなぁ・・・。

なんてったって、ホークスが本拠地にしていたこともある球場の下に、史跡があったのだから。
マイパパン世代には、西鉄ライオンズの本拠地の下に、国の史跡が眠っていたのだから・・・が 胸にクッとくる導入?




な~んて考えて・・・・・

こんなかんじに。

文房具載せているところの写真は、私が撮ったものではなく、引用なので・・。
ここは、球場で発見された当時のものなんです。
どうしても、やっぱり「大発見」の熱を伝えるためには、この写真は 私にとっては必要でした。




歴史部分だけ 少し近づいてみると・・・こんな感じ。

城壁、いい写真がなくて・・・写真、あらためて撮らなくちゃって思ってはいるんですが・・・(-_-;

他にも、なんだか写真たらないなぁ・・とも思ったんですが
数を増やすよりかは「鴻臚館跡」と「福岡城跡」を ドドーンと出したくて、A4横の右と左、ちょうど対角線上?に写真を大きく載せました。
史跡発掘中の案内看板?の写真と、城跡の案内の碑?の写真も、だいたいあるあたりに置いてみて・・・。

さてさて・・・・
様々な時代において、とても重要な場所であったことを それぞれに伝えられる場所・・・載ってますかね?!
やっぱり足りてないかなぁ??
今までに発掘されたものについて、全く触れていないから・・・それは何らか、足さなきゃですよね~。
・・・・さて、どうするかいな(-_-;。

右上の空いたスペースに 各場所の説明をシンプルにまとめた表を載せようかな。
この場所にかかわる歴史を完全に覚えていて、何の資料もなく、さらっと説明すること・・・まだできないから(^_^;。


そうそう、平和台球場・西鉄ライオンズの歴史が記載されている記念碑も載せました。
この公園のウリは やっぱり 古代と江戸、二つの時代の史跡なのかな?!と思うけれど、
スポーツによる戦災復興・元気都市復興の歴史も、すごい大事なことなんだろうな…って思う気持ちもあるので。

伝える相手、友達か、マイママンパパンか、
もしくは いつか生まれる(・・・・よね?!いつか、やってくるよね?!)わが子か・・・
いろいろ相手によって 伝えたいもの・伝え方・・・・違いがあるだろうから、練り直し、必要だなって思っているんですけどね。


ひとまず、試作、一回、やってみました~!この先、まだ、手直ししていきます。

《鴻臚館跡》金網にはりついて 柱跡の発掘現場を見学?!しました。

2011年11月20日 22時12分02秒 | 鴻臚館とその時代を 一から知る・深める・伝えるっ(~2012年)
今日の天気は・・・朝のうちは「どうかな?」と思いましたが、青空も見えてきたので・・・
予定通り、鴻臚館跡へ ふうふの社会科見学に行くことにしました。

一応、日々ぼちぼちまとめてきたもののファイルも、もっていっておきましょう。
まだ 何も見ないで 説明できるまで 覚えきってはいないしねぇ(^_^;。

車で移動し、昭和通りそばのコインパーキングに停めることにしました。
公園にも駐車場はある、って わかってはいたんですが・・・
お昼ごはんを食べるところを考えたり、鴻臚館跡まで歩いて移動することを考え・・・ということで。


お昼ごはんを軽く済ませたあと、歩いて、舞鶴公園内、鴻臚館跡に向かいました。

鴻臚館跡に向かうのに近いのは・・・・こちらの道。
上の橋大手門から 公園内に向かいます。

「あぁ、懐かしい~!!そうそう、この道を通ると、もうすぐそこが平和台球場だからさ~、
 ホークスの応援に行ってたの、思い出すよ!」
・・・・・あ、そっか。
おっと様は、ホークスの本拠地時代の球場、実際、応援に行ってたのね~。

今日の夜の勝利を信じながら、今からは、球場跡の鴻臚館跡を見に行きましょ。

鴻臚館跡の展示館を視線の先に見つけた おっと様。

「で、どっちにいったらいいと??」

大丈夫!私がご案内しましょ♪
視線の方向、左側に向かって、歩きますよ。

ちょっとばかり、現地に向かうまで、少し歩くので・・・・導入に使った資料はこちら。

総合図書館で見つけた本にあった、昭和32年当時の福岡城跡(舞鶴公園)内の説明ものです。
やっぱり、上下逆にしたんですけどね(^_^;。
日本史・地域史好きで、ずっとこの町に住んでいるおっと様・・・・
導入材料、マイママンやほかのまちに住んでいる友達に案内する場合で想定しているものとは変えました。

昭和22年の戦後復興事業、全市復興祭の博多どんたくや、昭和23年の第3回国体開催をちょっと触れ・・・

はい!!!
ちょっと話している間に、鴻臚館跡の発掘現場に到着です!

ではでは、見る資料を、先日ホームページで見つけたものに変えましょう!
記者発表資料のページで見つけた、発掘現場の詳しい説明の資料をもって・・・・さぁ、目的の柱跡へ!


「どこへ行ったら、うまく見えるんかねぇ~?」と言いながら、鴻臚館跡の芝生部分に入っていきました。
きっと発掘現場そばに、運動会の時に設営するようなテントがあるから
その後ろあたりに行ったら、なんらか見えるんじゃないかな??なんて話しながら・・・・・

芝生部分も「こんなのあったっけ?こんなになってたっけ?」と尋ねられたので、
「今年の梅雨明けくらいかなぁ・・・公開されたんよ。
 芝生の模様が、発掘してわかったものを模してるとかいう話じゃなかったかな・・」
と答えたら、
「あぁ、大宰府政庁跡と一緒だね」と返事が返ってきて「あ、そうなんだ(^_^;」とかえしちゃいました。
そうなんだ、よくされてる方法なんだ・・・・・知らないって・・はずかし~!!とほほ。


発掘現場には入れないので、ぎりぎり、そばの金網に近づいてみました。

おっと様には 芝生部分に入る前に渡していた印刷資料とは別のものを渡しました。
7世紀後半の柱跡が見つかった・・・という場所の説明のものです。


「ん~??わかる??」


おっと様、その資料と同じように、赤と緑の三角のしるしが 発掘現場に置いてあるっちゃないと~~~~???


「あ~!!そうかぁぁぁぁ!!」

・・・・きっと、そうであったと、信じたいです(^_^;
そのつもりで、ふうふで盛り上がっちゃいましたから・・・・(^_^;


ひとしきり盛り上がったあと、遠目に発掘現場を見て・・・おっと様。


「江戸時代の、上の門からの人の移動の流れと
 古代の迎賓館時代の人の移動の流れが、一緒ってことだよねぇ。
 
 奈良の都・京の都、東にあるというのはあるけれど
 古代って当時は風水とか陰陽道とかすごくこだわっただろうから、
 日が出る東側に入口があるって、やっぱりなんらか意味があるんだろうかもね~。」
 
・・・・・・・・・・えっと。
詳しいことは わかりませんっっ。
あ~ まちまなび、奥が深いです・・・・・風水?!陰陽道?!。



そんな、おっと様からの質問。

「あれ?鴻臚館跡、発見!って時から、この発掘調査まで、10年近くあいてない?なんで?
 確かに、ホークスの応援、ここに来てたけど・・・・」

あ、それは、ちょっとわかるかもよ?!
調べてきたものを綴じているファイルを取り出して・・・

「平成2年にはここでとびうめ国体、
 そして平成7年にはここでユニバーシアード福岡大会が開催されたんだって。
 ユニバ、友達が語学ボランティアやってたよ~。
 なつかしいなぁ!!
 球場の廃止と解体はそのあとだから・・・
 そのあと、本格的に 発掘調査が始まったってことなんだろうね~。」

一番最初におっと様に渡した、昭和32年当時の公園内の様子の資料を また出して
「戦災復興で、この場に 何らかのたてものではなくて 野球場などの運動施設ができたからこそ
 後々の時代、こうやって じっくりと遺跡が発掘できているのかな??」なんて話しました。

まだまだ この場所~舞鶴公園・鴻臚館跡・福岡城跡~について まちまなび・・深めていかなきゃです。

でも・・・・・・・少し、少しだけ・・・・説明できた気もしていて。。。それは ちょっと嬉しかったです!!

色塗りした白地図に、歴史のことも、落とし込んでいかなくっちゃだわっ。
それぞれの項目のまとめなおしと並行して、
地図づくりもやっていかなきゃ・・・と、決意を新たにした 今日の ふうふの社会科見学でした。

《鴻臚館跡》門の跡、発掘されたところを 見に行ってみましょ♪

2011年11月19日 19時23分14秒 | 鴻臚館とその時代を 一から知る・深める・伝えるっ(~2012年)
明日は天気がよかったら、鴻臚館跡に おっと様と ちょいっとお出かけするのです~。

新聞記事になっていた、7世紀後半の丸柱跡の発掘現場、見てみたいねぇ・・・という話になったので・・♪


発掘しているあたりをグルッとかこっている 金網フェンス(?っていうんですかね??あみあみのところ)の側に張り付いて
じ~っと 柱あとのあたりと思われるところを見ながら・・・・・
きっと おっと様が私に対し、あついあっつ~い 日本史魂のこもった語りを聴かせてくれるのではないかと思います。



一応、ホームページから、発掘されたところに関する資料を印刷したので
持っていって「あそこやないと~?」なんて言いながら 見てこようと思います。



晴れるといいなぁ~!


そうそう、買い物帰り、車の中で
「海外との交流って、北部九州で考えたら、鴻臚館が古代で、博多が中世で、室町期には平戸も舞台の一つになり、
 江戸時代は長崎・出島で、大正だと北九州・門司港なんだっけね~。
 九州って、“交易・海外交流拠点としての歴史”について、北部九州に横のラインがあるよね~。
 そして、もう一つ。
 縦のラインどりを考えると、“戦国武将のまち”の歴史があるじゃない??
 福岡と、熊本と、鹿児島・・・・・とか、大きな藩だよね。
 その縦と横のラインが、一か所で重なるポイント??みたいな場所が、
 福岡市内、舞鶴公園なんだよ、って、考えたら、何かすごいよね~!!」
と言ったら
「・・・・面白い考え方するんやねぇ」って言われました

面白い?!?!
そ、そう?!
感性がちょっと変わってるっては、よく言われるからなぁ~~


まぁ、とにかく、明日の晴れを 期待します!!

《鴻臚館跡》発掘・発見・・・・ドキドキ、感動!?

2011年11月17日 21時37分24秒 | 鴻臚館とその時代を 一から知る・深める・伝えるっ(~2012年)
季節の変わり目。のど風邪にやられて、おとなしく過ごしている、ここ数日の私です。

図書館、行きたかったのになぁ・・・・と思いつつ。


以前にコピーした資料や、家にある本にも、そういえば鴻臚館の発見当時の写真、あったなぁ・・なんて気づいて
「もし私がずうっと市内に住んでいたら、
 福岡と博多のうちの、福岡って言われるほうで発見されたっていうことに感動するかもな。
 一方で、もし私が今もほかのまちに住んでいたら、
 ホークスの球場であったことがある球場の下から発見されたことに感動するかもな。
 でも、マイパパンは、
 きっと間違いなく、西鉄ライオンズの本拠地だった球場の下から発見されたことに感動するんだろうな」
なんて、様々な立場を想像して、この先のまちまなびの方向性を考えつつ・・・

のど風邪をこじらせてしまうと、わたし、咳ぜんそくに一直線なんで、とにかく安静にしていたんですが。。。。。



今日の新聞に・・・・・・鴻臚館跡の発掘調査で、とても貴重な発見が!!という記事が!!!

きゃー、ほんとに~!?
すごいね、ちょっと感動!!

港のまちの「古代の国際交流の拠点」の姿が いろいろとわかってくる・・・って、すごいですよね(^o^)/♪

なにより、福岡城跡と鴻臚館跡と、それぞれ 同じ公園内で共鳴し合っているのが素敵♪
さすが、双子都市!


週末の発掘現場の説明会・・・気になるけれど、風邪具合を思えば、やっぱりまだ室内安静の時期でしょうね。。。。


週末はやっぱり、室内でおとなしくしておきます。(^_^;。

そうそう、安静にしつつ、ネットサーフィンしていて見つけた、pdfファイル♪

「みなと文化」いろいろから・・・・博多港の「みなと文化」です!

これを読んで、改めて「みなとの都市・福岡市」を おべんきょします~。
週末の過ごし方は、これで決定かな?!

《鴻臚館跡》ちょっとずつ “熱気”の再認識を していきましょう

2011年11月15日 22時41分40秒 | 鴻臚館とその時代を 一から知る・深める・伝えるっ(~2012年)
鴻臚館。

いくつか、まちまなびと違うことも同時進行しているので
(27日で、それもいったん落ち着くのですが)
今日、ちょっとだけ、まとめました。


結局、前回に作りかけていたものを、綺麗にした感じなんですが・・改めて、まとめなおして。

こうろかん、「古代日本の国際交流の拠点」なんですよね。
・・・・・・・・・・・再認識っ。

古代って言われても、他の時代より ちょっとばかり?!遠くて、
パッ・・・・とは想像しにくいとこもあるなぁと思うけれど、
「そんな昔から、この地は 活気があったんだろうな」ってことを、もうちょっと感じたいと思います。


自分が時代を遡って・・・・古代の活気や、あわせて発見時の興奮を感じることが出来たら、
この先、自分のことばで その時々の熱を伝えることが出来るはず・・・・だよね。

・・・・どうかなf^_^;?!


近々、図書館に、本を借りに行こうっ。
発掘された陶磁器、ガラスの写真や話から、もうちょっと熱を感じてみよう。
「記事や本の行間から、熱を感じる」・・久しぶりのことだけど・・文字と写真にこころを開いてみるのです。


おっと様からは「前に向かう、未来にむかうのが、このまちの特徴よ」って言われるんですが・・・・
子育ても、友達なんかに まちのことを伝えるときも、
ちょっと「時代をさかのぼること」って、準備としては大事だとおもうんよ~。

時代の先端を行く今のことと、昔の時代の まちの歴史は、車の両輪・・・と思って、コツコツ頑張るのです!