福岡市を知る&学ぶ&楽しむ!子連れおでかけと地域史を学び続ける日々

大好きなまち~福岡市~での育児やおでかけと、福岡市の地域史を知り次の世代に伝えたいと学び続ける日々を綴ります。

819年から847年・・人のうごき、役職の変化、見やすく まとめなおしました

2015年10月22日 01時07分44秒 | 鴻臚館とその時代を 一から知る・深める・伝えるっ(2013年ママになってから)
昨日の 手書きで書き入れた地図は

正直いって、非常に 見にくかったので・・・・

おちびが お昼寝している間に、コレ↓を打って


おちびが 夜 寝付いた後に ペタペタ貼ってみました。


819年の平盧軍節度使李師道の反乱から、847年の円仁さん唐から日本へ戻るまでの、結構長いとしつきが反映された地図になりました

いくつかの本を参考にして年号と役職とをあわせて打ったので
どの人が どういう動きをしてたのか、
いくつかの節目節目を経て、どういうふうに立場が変わっているのか
パッと見て 確認しやすくなって よかったーと思っています


改めて まとめてみると
明州あたりは 遣唐使の南路だから、急に840年代にクローズアップされたというよりかは
前々から 日本との行き来には なじみがある場だったんだよねーだとか、
819年に日本に着いて、唐の平盧軍節度使李師道の反乱を伝えたのは、越州の唐人だったんだなーとか、
越州の唐人も、819年時点で“新羅人の船に乗って来たる”なんだー、あ、だから舟山群島の確認が大事なんだーとかとか・・・
藩鎮は違うけれど、
でも、大運河を使えば 楚州、揚州、明州は、行き来は結構 やりやすかったかもねーとかとかとか・・・
いろいろ「あ、そっかー」という気づきがあります


ひとまず、この地図をまとめたことで、
842年を節目として、鴻臚館での交易が変わった、ということについての ノートへのまとめ作業、
ちょっとしやすくなったような気がします

文章を追いかけてるだけでは、ちょっと 頭のなかが混乱してたんですよね

よーし、明日以降も なんらか頑張ろう~!!!!

・・・・・おちび次第ですが

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