福岡市を知る&学ぶ&楽しむ!子連れおでかけと地域史を学び続ける日々

大好きなまち~福岡市~での育児やおでかけと、福岡市の地域史を知り次の世代に伝えたいと学び続ける日々を綴ります。

遣唐使と 国の在り方の違い  そして鴻臚館の建物の時代  関連付けをはじめてみよう

2013年08月01日 09時44分53秒 | 鴻臚館とその時代を 一から知る・深める・伝えるっ(2013年ママになってから)
『円仁 唐代中国への旅』を読んでいたら
鴻臚館跡と遣唐使のこと、ちょっと確認したくなって、
高校日本史の資料集と 『円仁 唐代中国への旅』、
あと、以前からまとめている表 それぞれを同じ場所に置いて 読んでみました。


ん~~~ むむむ。

建物の遺構の説明での 第2期、第3期の区分も気になって・・・・・


んーと。
吉備真備が遣唐使に行ったのも、第2期。
第2期は、鑑真和上が来た時期に重なってるんだっけ。
でも、厳密に言えば、鑑真和上が やっと日本についたよっていう最初の到着場所は、鹿児島なんだっけ・・。

第3期は、空海、最澄の遣唐使と、円仁の遣唐使の時期であってるはず。


・・・・・・・・・・ということは。

あ・・・ 平城京の時代が、鴻臚館跡 第2期の建物??天平文化のころの建物??
そして、平安京の時代が、鴻臚館跡 第3期の建物??唐風文化のころの建物??

ざっくりとした分け方だけれど、そういうことになるのかな?????



すこーしずつ すこーしずつですが、“鴻臚館とその時代”について
建物の時期と 歴史年表や人の動きが 関連づけられてきだしたような気がします。


ぼちぼちだけど、舞鶴公園のことに関してのまちまなび、鴻臚館跡前に進んでいるかな??
うまく関連付けができたら、世界史と 鴻臚館跡との関連付けをしないとね~。

そして それがすんだら、
地域史を理解して、おちびさんの発達にあわせて説明することば(文章)と、
観光のような、違うまちからこのまちへ訪ねてきた人に伝える視点で説明することば(文章)と、
両方を考えていかなくちゃ・・かな

どちらのパターンも、「歴史ファン・歴史マニアで 古代の歴史、ある程度のことは把握している」という前提は成り立たないので
“関心を引き付ける導入”をどうするか、考えなきゃいけないなぁと思います