8日は 光雲(てるも)神社へ行きました。
御朱印をいただきたかったし、まちまなび、このところずっと 舞鶴公園と幾重にも重なる歴史についてやっているので
やっぱり 2012年の初めのうちに、光雲神社に行かねばならぬかな・・・と思っていたんですよ。
福岡藩の藩祖お二人をまつる 光雲神社です。
ねぇ・・・新年のご挨拶をしないままで まちまなび続けちゃ いけないような気がしませんか?!
神社に来たのは数年ぶりかなぁ?以前、一度、母里太兵衛像を撮影にきています。
今回は、神社の境内に入る前に、まわりにあった黒田両公の説明を ちゃんと読みました。
黒田入国にまつわるお話・・・この話、知りませんでした。
もう、ほんとうに ほんっとうに すいません、って感じですね・・・。
何年もまちまなび やっているはずなのに、まだまだ ぴよっこって証明したようなものじゃない?!
そうかぁ・・・博多のまちわりに関わり、博多の地の重要性を熟知している武将からの言葉があったという説があるのですね。
当時の城の説明がありました。
天守閣には諸説あるようなので、そこの説明はは おいといたとしても、
その他の説明は、昭和32年当時の 城跡の状態の地図を 去年秋のまちまなびで見つけていたこともあったからか
私にとっては 構想像しやすかったです。
秋に地図を見つけたときに「??本丸あたりに国立病院跡??」と思ったんですが、
ここの説明でも 『本丸は、昔の国立病院付近』とあるので、まちがいないんでしょうね。
そうそう、興味深かったのは・・・・・
植林を推奨した藩主だったのですね~!
営林と緑化の推進と、産業育成に取り組んだお殿さま?!
ん~♪
なんか、昭和40年代に「緑の指定都市」という思いをを掲げて、
福岡市が政令指定都市になろうとした、その一番最初の精神は もしかしたら、黒田のお殿さまになるのかもしれないですね
だから、現代に沿った 緑ゆたかな城跡というご縁が あの場所にあるのかなぁ・・・
水牛の兜像を 一枚 写真とりました~。
そして・・・神社を遠くから1枚。
ちゃんとお詣りしました♪
お賽銭を入れると 鶴の鳴き声がするのは やっぱりまたびっくりしたんですが、
福岡城は 別名 舞鶴城というから、鶴の鳴き声がするのは 黒田のお殿さまとの繋がりの証だなぁ・・と
しみじみと感じることが出来、
以前来た時より たぶんずっと気持ちが落ち着いた状態で お詣り(ご挨拶)することが出来ました。
お詣りというか・・・
「もう、今、なんだか停滞してるんですが、今年も まちまなび頑張るんで よろしくおねがいします」
という 軽い弱音と決意の表明?!になったような気がしますが・・
・・・・この お詣りをしたのが、8日。
帰省したのが10日なんですが、おっと様から「僕ね、福岡城のフォーラムに行ったんだけど」って・・え?平日よ?連休明けよ?!
城大好きの歴男としては どうしても気になって・・・って、そんなのアリ?!
・・・・・・・・・でも、そういう日程だから、仕方ないのか(-_-;
ただ。
「なんかね、鴻臚館と三の丸と どっちが大事かとか、石垣と緑と どっちが大事とか
どうして あれかこれかの、二者択一になるのかなぁ??どうして二者択一しかないのかなぁ?!」
という感想が。。。。
二者択一?
そうねぇ・・・女子は「あれも これも」だけど、男子は 意外に「あれか これか」じゃない??普段から。
「アジアとの交流の歴史がない時代が、城下町の歴史の時代じゃないの?!福岡市の歴史のなかで、どう考えたらいいの?!」という感想が。
そうねぇ・・・
まぁ、アジアとの交流って限定しないといいんじゃ??
「みなとまち」の歴史と考えたら??
江戸の 城下町の時代でもまぁ。。。
大きくは言いづらいけど、密貿易の事実も 江戸期の前半かなぁ・・・あったようだし(^_^;。
あっ、そうそう、それこそ、黒田のお殿さまが 植林したハゼを使った良質の蝋燭の貿易を、江戸の後半の時代は 国内市場を相手にやっていたんだし。
あと、佐賀・鍋島藩と交代で、長崎警備やってて・・・それも「みなと」と「まち」の関わりというか、まちのお役目の歴史だし・・・。
大きく「みなとまちという個性(性質?)を持つ まちと その通史」と考えたら、いいんじゃないの?
うーん、確かに 城下町というまちの姿に、アジアとの交流っていう個性はないかも・・・しんない・・確かにね(-_-;
「どっちが大事なの?!」って聞かれたら・・・わからんけど、
ほら、おっと様、あーたも今 「どっちが大事なの?」っていう 二者択一の発想になったろ????
ん~~・・・・
舞鶴公園・福岡城跡・鴻臚館跡・城跡の緑と花・・・イロイロ難しい関係なんかなぁ?!
でも、私は おとな女子・おとな乙女なので、
乙女の感覚「あれもこれも」を フルに活かして、
この先も まちまなび 続けていきます~♪
ちょっと難しく言うと『対立ではなく、個性の並列』という視点・・・かな?!
まぁ、やっぱり「あれもこれも」の女子まちまなび・・・のスタンスってとこですかね
御朱印をいただきたかったし、まちまなび、このところずっと 舞鶴公園と幾重にも重なる歴史についてやっているので
やっぱり 2012年の初めのうちに、光雲神社に行かねばならぬかな・・・と思っていたんですよ。
福岡藩の藩祖お二人をまつる 光雲神社です。
ねぇ・・・新年のご挨拶をしないままで まちまなび続けちゃ いけないような気がしませんか?!
神社に来たのは数年ぶりかなぁ?以前、一度、母里太兵衛像を撮影にきています。
今回は、神社の境内に入る前に、まわりにあった黒田両公の説明を ちゃんと読みました。
黒田入国にまつわるお話・・・この話、知りませんでした。
もう、ほんとうに ほんっとうに すいません、って感じですね・・・。
何年もまちまなび やっているはずなのに、まだまだ ぴよっこって証明したようなものじゃない?!
そうかぁ・・・博多のまちわりに関わり、博多の地の重要性を熟知している武将からの言葉があったという説があるのですね。
当時の城の説明がありました。
天守閣には諸説あるようなので、そこの説明はは おいといたとしても、
その他の説明は、昭和32年当時の 城跡の状態の地図を 去年秋のまちまなびで見つけていたこともあったからか
私にとっては 構想像しやすかったです。
秋に地図を見つけたときに「??本丸あたりに国立病院跡??」と思ったんですが、
ここの説明でも 『本丸は、昔の国立病院付近』とあるので、まちがいないんでしょうね。
そうそう、興味深かったのは・・・・・
植林を推奨した藩主だったのですね~!
営林と緑化の推進と、産業育成に取り組んだお殿さま?!
ん~♪
なんか、昭和40年代に「緑の指定都市」という思いをを掲げて、
福岡市が政令指定都市になろうとした、その一番最初の精神は もしかしたら、黒田のお殿さまになるのかもしれないですね
だから、現代に沿った 緑ゆたかな城跡というご縁が あの場所にあるのかなぁ・・・
水牛の兜像を 一枚 写真とりました~。
そして・・・神社を遠くから1枚。
ちゃんとお詣りしました♪
お賽銭を入れると 鶴の鳴き声がするのは やっぱりまたびっくりしたんですが、
福岡城は 別名 舞鶴城というから、鶴の鳴き声がするのは 黒田のお殿さまとの繋がりの証だなぁ・・と
しみじみと感じることが出来、
以前来た時より たぶんずっと気持ちが落ち着いた状態で お詣り(ご挨拶)することが出来ました。
お詣りというか・・・
「もう、今、なんだか停滞してるんですが、今年も まちまなび頑張るんで よろしくおねがいします」
という 軽い弱音と決意の表明?!になったような気がしますが・・
・・・・この お詣りをしたのが、8日。
帰省したのが10日なんですが、おっと様から「僕ね、福岡城のフォーラムに行ったんだけど」って・・え?平日よ?連休明けよ?!
城大好きの歴男としては どうしても気になって・・・って、そんなのアリ?!
・・・・・・・・・でも、そういう日程だから、仕方ないのか(-_-;
ただ。
「なんかね、鴻臚館と三の丸と どっちが大事かとか、石垣と緑と どっちが大事とか
どうして あれかこれかの、二者択一になるのかなぁ??どうして二者択一しかないのかなぁ?!」
という感想が。。。。
二者択一?
そうねぇ・・・女子は「あれも これも」だけど、男子は 意外に「あれか これか」じゃない??普段から。
「アジアとの交流の歴史がない時代が、城下町の歴史の時代じゃないの?!福岡市の歴史のなかで、どう考えたらいいの?!」という感想が。
そうねぇ・・・
まぁ、アジアとの交流って限定しないといいんじゃ??
「みなとまち」の歴史と考えたら??
江戸の 城下町の時代でもまぁ。。。
大きくは言いづらいけど、密貿易の事実も 江戸期の前半かなぁ・・・あったようだし(^_^;。
あっ、そうそう、それこそ、黒田のお殿さまが 植林したハゼを使った良質の蝋燭の貿易を、江戸の後半の時代は 国内市場を相手にやっていたんだし。
あと、佐賀・鍋島藩と交代で、長崎警備やってて・・・それも「みなと」と「まち」の関わりというか、まちのお役目の歴史だし・・・。
大きく「みなとまちという個性(性質?)を持つ まちと その通史」と考えたら、いいんじゃないの?
うーん、確かに 城下町というまちの姿に、アジアとの交流っていう個性はないかも・・・しんない・・確かにね(-_-;
「どっちが大事なの?!」って聞かれたら・・・わからんけど、
ほら、おっと様、あーたも今 「どっちが大事なの?」っていう 二者択一の発想になったろ????
ん~~・・・・
舞鶴公園・福岡城跡・鴻臚館跡・城跡の緑と花・・・イロイロ難しい関係なんかなぁ?!
でも、私は おとな女子・おとな乙女なので、
乙女の感覚「あれもこれも」を フルに活かして、
この先も まちまなび 続けていきます~♪
ちょっと難しく言うと『対立ではなく、個性の並列』という視点・・・かな?!
まぁ、やっぱり「あれもこれも」の女子まちまなび・・・のスタンスってとこですかね