我が郷は足日木の垂水のほとり

文化芸術から政治経済まで、貧しくなった日本人の紐帯を再構築したいものです

吉田 茂

2009年09月18日 | 政治家

 

吉田 茂【わが郷・政治家】1878 ~ 1967 吉田 茂 政治家の顔

 

 

 


吉田 茂  よしだ しげる

1878年(明治11年)9月22日 - 1967年(昭和42年)10月20日)は、日本の外交官、政治家。位階は従一位。勲等は大勲位。
 
外務大臣(第73・74・75・78・79代)、貴族院議員(勅選)、内閣総理大臣(第45・48・49・50・51代)、 第一復員大臣(第2代)、 第二復員大臣(第2代)、農林水産大臣(第5代)、衆議院議員(当選7回)、皇學館大学総長(初代)、学校法人二松学舎舎長(第5代)などを歴任した。


東久邇宮内閣や幣原内閣で外務大臣を務めたのち、内閣総理大臣に就任し、1946年5月22日〜1947年5月24日、および、1948年10月15日〜1954年12月10日まで在任した。
 
優れた政治感覚と強いリーダーシップで戦後の混乱期にあった日本を盛り立て、戦後日本の礎を築いた。ふくよかな風貌と、葉巻をこよなく愛したことから「和製チャーチル」とも呼ばれた。
 
政治活動以外の公的活動としては、廃止された神宮皇學館大學の復興運動に取り組み、新制大学として新たに設置された皇學館大学にて総長に就任した。また、二松学舎では、金子堅太郎の後任として学校法人の理事長にあたる舎長に就任した。
 
なお、内務官僚を経て貴族院議員となり、米内内閣の厚生大臣や小磯内閣の軍需大臣を務めた吉田茂は、同時代の同姓同名の別人である。

 


生い立ち

1878年(明治11年)9月22日、高知県宿毛出身の自由民権運動の闘士竹内綱の5男として東京神田駿河台(のち東京都千代田区)に生まれる。父親が反政府陰謀に加わった科で長崎で逮捕されてからまもないことであった[2]。実母の身元はいまでもはっきりしない[2]。母親は芸者だったらしく、竹内の投獄後に東京へ出て竹内の親友、吉田健三の庇護のもとで茂を生んだ。


 実父母:竹内 綱・瀧子

 

 
吉田の実父と義父は若い武士として1868(慶応四、明治元)年の明治維新をはさむ激動の数十年間に名を成した者たちであった。その養母は徳川期儒学の誇り高い所産であった。

 

 


 

小学時代の吉田茂

1881年(明治14年)8月に、旧福井藩士で横浜の貿易商(元ジャーディン・マセソン商会・横浜支店長)・吉田 健三 の養子となる。ジョン・ダワーによると、「竹内もその家族もこの余計者の五男と親しい接触を保っていたようにはみえない」という[4]。


 
養父・健三が 40歳の若さで死去し、11歳の茂は莫大な遺産を相続した。吉田はのちにふざけて 「吉田財閥」 などといっている。
wikipedia )

 

 

家族・親族 一族

 実母: 瀧子

 ただし実母は芸者某とする説がある。『日本の上流社会と閨閥』203頁によると、「…母親の名も素性もはっきりしないが、後年、名門出の雪子夫人との間にすき間風が吹き始め、芸者遊びに精を出すようになると、雪子は “芸者の子は芸者が好きね” といったそうだから想像がつく。…」という。『吉田茂とその時代(上)』6頁によると、「…実母の身元はいまでもはっきりしない。母親は芸者だったらしく、竹内の投獄後に東京へ出て竹内の親友、吉田健三の庇護のもとで茂を生んだのである…初期の戸籍は明らかに母 “不詳” としているが、吉田の存命中は竹内の本妻に生まれたという虚構の説が公に唱えられ、出生をめぐる回想のなかでも吉田は実母に言及することを用心深くさけている…」という。 実兄: 竹内明太郎(実業家、政治家)

 養家(吉田家) 養父: 吉田健三(旧福井藩士、実業家、ジャーディン・マセソン商会・横浜支店長)
 養母: 士子[26](儒学者・佐藤一斎の孫娘、士族・東京府官吏・佐藤新九郎の娘)
 岳家(牧野家) 岳父: 牧野伸顕(旧薩摩藩士、政治家、伯爵、明治の元勲大久保利通の三男)
 岳母: 峰子(旧薩摩藩士三島通庸子爵の次女)
 自家(吉田家) 妻: 雪子(1941年(昭和16年)に死別)
 長男: 健一(英文学者)
 長女: 桜子(夫・吉田寛は元首相岸信介・佐藤榮作兄弟の従兄弟、元外相松岡洋右の甥にあたる[27])
 次男: 正男(東北大学助教授、学習院大学教授などを歴任)
 次女: 江子(夭逝)

 三女: 和子(福岡県、実業家・政治家麻生太賀吉夫人)
 麻生太賀吉と和子の長男が第92代内閣総理大臣 麻生太郎 であり、長女 信子は寛仁親王の妃。

後妻: 喜代(元新橋の芸者)
(wikipedia より抄出紹介。若干の偏執を、わが郷にて加えてある。)

 

 

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