我が郷は足日木の垂水のほとり

文化芸術から政治経済まで、貧しくなった日本人の紐帯を再構築したいものです

ケンとメリー

2009年12月12日 | 経済

ご案内 

 

1970年頃の、ガソリンの値段が、確か、100円/㍑ だった。2009年の、今も、100円ほどである。(税も考慮すれば) 当時の小生の、アルバイトで稼いでいた金が、月に30,000円。最近の大学生の、一月の掛かりが、部屋代込みで、大体、180,000程か。

物価(生活のレベルと言い換えても良い)は、六倍なのに、ガソリン代は変わらない。石油を、基軸通貨と仮にするならば、日本の経済は、是だけ豊かになったのか。

四畳半の間借りが、4,500円で。今はセキュリティーマンション、畳とキッチン、ユニットバス付きで、80,000円である。

日本の、自動車メーカーの輸出が急ブレーキなので、補助金付けて売っても、いつまでもつか。遂には、本当に値下げせねばなるまい。たしかに、二年買うのを控えても、車は、たぶん、ちゃんと走るのだろう。

車の製造販売は、利がでなくなるので、新しい産業に優秀・果敢な人材・資源はシフトしてゆく。航空・宇宙産業。それから医療ではなく、健康管理産業が、新たに勃興るような気がする。現在の医療は、WHOの管轄下で野蛮な独善横行で、実態は、お陀仏状態。

あと、二十年過ぎた日本の経済は、どうなっているのか……。

フリーターのお兄ちゃんは、そのまま、プー太郎なのか。80年代に職に就いた、苦労知らずの、「役人」みたいな、正社員も、みな定年退職。

すると、日本中、全部、プー太郎なのか。

そうは、なるまい。


アメリカはどうなろうとも、小生は、知らない。何故か、英語の経済資料読むほど、Englishに堪能ではない。外国事情を日本語に書き直したものは、信用がならない。データも、例えば、2007年の米国銀行の、株価と、現在のそれを、比較してみれば、『基地外』である。日本のとは、桁が違う。素晴らしい、詐欺師ぶり。

日本は、たぶん、質的に相当高いところまで、行くような気がする。

戦後 80年ともなれば、戦勝国アメリカの呪縛も、風化する。そのためには今暫くは、風をおこすしかない。

 

 

 

  ケンとメリー〜愛と風のように〜  

 

 

   我が郷の付録      

  「長めの記事」は別記事として、「別冊」に分けました。読んで頂ければ幸甚です。

 

 南鳥島のレアアース鉱床 shock

 

 

   以下は参照記事です。 

 
 
 
 
 
 
支那の次期国家主席候補の副主席が、おのれの政治的地歩を固めるために、我が帝を利用しようとしておる。小沢の意向で鳩山総理がそれに従った。これも、普天間問題で、アメリカへの鞘当てとなるのか。
この程度の、シナチク頭でも雨車暴走の車止めぐらいにはなる。
 
  気分直しに、寅さんの記事の紹介(抄出)。
世間知らずなセリフ

「親切な女将(おかみ)の一人もいて、俺が仕事から疲れて帰ってくる。『お帰りなさい、疲れたでしょ?』。そんな事を言ってくれりゃぁそれで十分よ。あっ、風呂はなくってもいいよ。俺銭湯大好きだからね。『一っ風呂浴びてらっしゃいな。帰ってくるまでに晩御飯作っとくからね』。タオル、洗面器、シャボン。『どうせあんた細かいお金持ってないんだろ?』。四十円ポンと貰って、『じゃあ行ってくるか』。『いってらっしゃい』。やがて俺は風呂へ行く。帰ってくる、晩メシになる。俺はね、おかずなんか何だっていいな。どうせ家賃はたいした事ないんだからさ。そうねぇ、おつまみに刺身一皿、煮しめにお吸い物、玉子焼きなんかちょっと付いてもいいし、おひたしなんかもあったらいいなぁ。お銚子を三本ぐらいすっと飲む。昼間の疲れでついウトウトする。女将(おかみ)がスッとそれを見て、『櫻、枕を持ってっておやり。ついでにお腰も揉んでやったらいいんじゃないかい?』、ってね。あ、"櫻"ってのは下宿の娘よ。ん? どうしたんだ、その面は」


【解説】
寅次郎が一人暮しをする為に不動産屋を回り、つい調子に乗って世間知らずな自分の希望をぺらぺら喋ってしまった。それを聞いて飽きれた不動産屋。

http://www.asahi-net.or.jp/~VD3T-SMZ/eiga/serifu/dokuson5-9.html 

 
                       ここまで、紹介終わり。
 
 
 
    
 
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      一騎当千の美少女
 
 
 
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2018 05 02 マスコミの崩壊【わが郷・マスコミ】 マスコミの崩壊 わが郷

 

 

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核実験 と 錆び付いた核

2009年12月12日 | 軍事

 

 

                       

 

 

 

核兵器は民主主義の対極にある。

非民主主義の軍国主義だから、原爆を落とされた。そう思わず言ってしまったのは、核爆発の磁気嵐が、アタマの配線を狂わせたが故。

冷静になって思考をめぐらせてみれば、この兵器使用の狂気が見えてきた。原爆投下から10年が過ぎた1955年8月に人類史上最初の原子爆弾の巨大惨禍・惨劇に見舞われた、その広島市で第1回原水爆禁止世界大会が開催された。世界各国からの代表も含めて、およそ5,000人が参加して行われた。

その後、ソ連や支那の核実験をめぐって、意見の対立がありこの反核運動は分裂し、紆余曲折を経ることとなる。この運動に絶対的に欠けていたものは、日本の防衛をどうするかという観点であった。日米安保に依拠した「平和」は、原理的には核の存在を前提としている。核の絶対的な威圧力を目の当たりにしたはずなのに、我が日本も核を保有するという大切な選択肢が抜け落ちてしまっている。

世界各国が核兵器を廃絶しないならば、我が国も核兵器を持たざるを得ない。

此処が、実効ある運動の出発点である。

アメリカの保護領として、与えられた「平和」は謂わば「奴隷」の安寧である。

江戸より以前、戦国の世では、戦闘員たる「武士」と非戦闘員の「百姓、町人」は身分の違いがあった。が、実際戦闘が行われれば田畑は荒らされ、食糧も奪われる。命さえ奪われることもあったろう。町は焼き討ちに遇うこともある。整然と武装解除が行われた戦後日本に於いては、平和はほぼ完璧なものではあった。少なくともその様にも見えた。しかし実際は形を変えた戦争が継続されていた。完全に近い形で温存されていた帝国陸軍の指揮系統の破壊のために、東京裁判が凶行された。絞首刑になったのがほとんど帝国陸軍の指導層に身を於いた人物ばかり。帝國海軍は既にほぼ壊滅していた。これでは指揮系統もなにも有ったものではない。

B級C級の裁判も含めて、日本の軍事力は極東裁判によって、麻痺させられてしまった。

広範囲に渡る検閲・情報統制で日本中に流される情報は、アメリカに都合のよいものに限られた。教育も厳しく統制された。これで日本は国全体として、骨の髄までアメリカに従属させられてしまったのである。

この奴隷の平和が完成したのは、丁度この第1回原水爆禁止世界大会が開かれた頃なのか。

戦前の指導者、指導層は国家、経済そして教育、報道から閉め出されて謂わば蟄居の身であった。代わって登用されたのが、戦前では下層に居たものや、反国家思想・信条をもった国家経営に疎い人達であった。言い過ぎを敢えて言えば。ボンクラである。政治においては日本共産党までもが、進駐軍を「解放軍」と賛美するまでに籠絡されてしまっていた。普通選挙、男女平等そして農地解放この他様々な「社会主義的」施策が執行されて、『平和憲法』がその象徴でではある。これで日本国中、平和で丸く収まったかに見えた。ところが是が、世界史から観ると次の戦争の土台作りなのだった。『朝鮮戦争で日本の経済は復興した。』訳知り顔にこう吹聴するものが、今でも多い。このような人心の荒廃は、帝の案じられた、志操の喪失、大儀の忘却である。彼の戦争なかりせば、朝鮮半島も日本国として再出発したならば、どれ程半島が発展したことか。岸壁に括り付けられた古タイヤのように、米ソの板挟みが朝鮮の悲劇であった。その所為で「戦後復興」とは、どれだけ下卑ているのか底が知れぬ。これが日本の戦後歴史学者と自称する奸物の群れである。道議のかけらも持ち合わせていない。

それから半世紀以上経った今も、軍事立国アメリカは数えきれぬほどの、侵略戦争を繰り返している。武器輸出の禁止は言い訳で実際は、戦車用の鋼板を輸出しているのである。

小国ベトナムでは何百万もの死者がでている。インドシナ半島全体では数え切れない。イラク、アフガニスタンには傀儡政権が作られ、実質、兵器の消耗・実験場と化している。バルカン半島の火薬庫は焼かれ、モザイク国家は砕かれて、ゴロツキの住み処となった。ソ連も解体されて、テロリストが送り込まれている。そして何よりも被害を被っているのは、当のアメリカ国民である。若者は戦地で死傷し、心も壊された。文化・精神は紊乱し、あらゆる種類の薬物は蔓延している。


先の大戦で雄々しく闘った英霊に守られて、日本国民は虚偽の平和の下にある。アメリカ支配層は日本の、軍事的・精神的自立を恐れて、一時は日本全体を厚遇したかに見えた。しかし、今となってみれば、豚は肥やしてから喰らう。それだけのことの様でもある。

前置きが長くなったが、『豚には、日本刀は似合わない。』日本の核武装に思いが至らないトウフ頭の日本人は、江戸時代以前の「百姓、町人」のタグイであろう。完成された自由人とは言えぬ。アメリカの従僕の奴隷である。このような境遇に有るからこそ、核兵器廃絶は口には出来ても、日本の核兵器開発には思いが至らない。平和な農業文化の原資共同体そのまんまの理想主義では、世界の中では自立出来ない。

アメリカも、ロシアも支那も全ての核保有国が、核兵器を捨てなければ、日本国は敢然と核武装する。何故こう言えない。憲法九条の護摩の御札を、おでこに貼られて「金縛り」状態。百姓・町人の下郎政治・経済では、日本の核武装など思いも及ばない。

鳩山由紀夫氏はその憲法試案の中で、自衛軍の創設を謳っている。一定の条件下での是等の国権の制限割譲をも併記している。これは近隣諸国の、危惧に配慮したもの。核兵器の不所持も書いてある。

彼の政治家としての、それも政府トップの座を窺う身であるならば、かような物書きになるのは自然ではある。

なれど、我らは一介のブログの物書き。言いたいことを、良いように書けばよい。これが日本の本心であると。日本人の心根、腹の内を見たくば此処に来よ。

日本は東アジアを邪悪の破壊から守るために、核武装を宣言する。それが嫌ならば、疾く核武装の解除を行え。
 

 

 

 

   以下は参照記事です。 

 
    
 
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スズキのインド進出のエピソード---会長が明かした成功の背景

2009年12月12日 | 記事紹介

http://techon.nikkeibp.co.jp/article/TOPCOL/20080109/145106/

2008年1月9日配信

  記事の紹介(抄出)です。

スズキのインド進出のエピソード---会長が明かした成功の背景
 
2008/01/09 16:15
近岡 裕=日経ものづくり

日本の製造業の視線が,これまでの中国一辺倒から徐々に他国に移っている。特に工場の進出先に関しては,その変化が著しい。例えば,世界的な強さを発揮する自動車業界は今,インドに熱い視線を送っている。業界を牽引する完成車メーカーが進出を果たし,これに引っ張られる形で大手の部品メーカーが続々と工場進出を計画したり,実際に動いたりしている。こうした中,他社に先んじてインドで成功を収めているのがスズキだ。

 1981年にインドに進出し,1983年からクルマの生産を開始した同社は,現在年間70万台あまりのクルマを生産して,同国におけるトップシェアを誇る(注:2007年の実績は66万7000台)。他社が注目している現在から25年も前に,既にインドでクルマを生産していたのだ。先見の明とはこのことだろう。しかし,同社会長の鈴木修氏はそんな考え方をきっぱりと否定する。以下は,2007年12月5日,ある大学が主催したシンポジウムで語った鈴木氏の講演内容だ(関連記事関連ブログ)。

「よく『スズキさんは先見の明があって素晴らしいですね』などと言われる。冗談じゃない。先見の明なんてどこにあるかって。

 本当は,我々だって大手と同じように先進国に進出したかった。しかし,先進国の中で(軽自動車のような)小さなクルマを造ってほしいと言ってくれる国はどこもなかった。

 仕方がないから,裏道をとぼとぼ歩いていたら,変なおじさん(注:R.C.バルガバ氏と思われる。同氏は,当時インド政府の高官で,後にインド政府とスズキの合弁会社であるマルチ・ウドヨグ社(現在は,スズキが54%を出資するマルチ・スズキ社)で社長も務めた人物)に出会った。

 そして,『お前,何を悲しんでいるんだ?』と聞かれたから,大手なら先進国に出られるのだが,うちは小さなクルマしかないから,どこにも行くところがない。だから,残念ながら軽自動車(注:日本のことと思われる)を中心に造っているんだと話した。すると,彼は『ワシの所に来ないか?』と言った。まあ,だまされたと思ってついて行ってみるかと,ついて行った先がインドだった。これが当社がインドに進出した理由だ(注:当時,インド政府は自国に自動車産業を興そうと考え,技術的なパートナーを探していた)。

 しかし,インドに行ってみたら,電気は止まるわ,水道はないわ,井戸を掘ったって浄化設備がないと使えない。電話は通じないし,道路は未舗装のためデコボコの上,行き交う人よりも牛の方が多い。こうした状況でさんざん苦労した。それでも,一生懸命にやった結果,現在がある。

 別に先見の明があったわけではない。行くところがなくて,仕方がないからインドに行ったのだ」。

 日本から遠い異国に渡り,インフラが整っておらず,文化も習慣も日本とまるで異なる。何より,製造業が根付いていない発展途上国である。こうした状況下で,現地の社員や作業員を教育して一人前にすることに,どれほどの苦労があったか分からない。しかも,自動車業界という厳しい競争環境の中で仕事をしなければならない同社の技術者は,とても大変な思いでインド出向の辞令を受け取ったろうと,誰でも想像するだろう。

 そんな社員に向けた,鈴木氏の“人心掌握術”がふるっている。

「うちの社員には,先進国に行くよりも苦労をかけた。しかし,私はインドに行くと,いつも社員にこう話し掛けたものだ。

 『うちのオヤジがインドなんかに工場をつくったものだから,俺たちは犠牲になって仕事をしなければならない。何たることか。浜松にいれば,悠々自適で暮らせたのに』──などと思っているかもしれない。

 しかし,そう思って仕事をしたらおしまいだ。そうじゃない。浜松で生まれて地元の学校を卒業し,スズキに入社する。旅行以外で浜松から離れたことがない。それでは世間知らずだ。それが,インドという,とても自分のお金では行けない場所に来て生活できて,いろんな文化を知ることができる。2000年前の歴史的な遺跡なども見物できる。こんないいことはないじゃないか。

 浜松で一生を終えたかもしれない人間が,インドやパキスタンといった国に来れたことは感謝すべきことだ(注:スズキのパキスタンにおける自動車の生産台数は年間13万台ほどで,70%のシェアを占める。鈴木氏曰く「パキスタンで運搬の主役だったロバやらくだを,当社のクルマが置き換えた。だから,今ではスズキのクルマは同国で『ロバ』と呼ばれている」)。そういう気持ちを持てば,仕事も楽しいよ,と。

 こうした言葉に応えてくれた社員の辛抱強さと,私に対する信頼とで今があると言える」。

 企業トップの講演で,ここまで面白く話が聞けたのも珍しい。他社には見えない潜在的な市場に目を向け,社員を鼓舞しつつねぎらう。成功の背景にはしかるべき理由があったということだろう。

 鈴木氏は講演で,こうも語った。

「皆さんも行くところがなかったら,(スズキと同じように)やってみることでしょうね」。

  記事の紹介(抄出)終わりです。

 

 

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首相、17日に上申書提出=「秘書に任せていた」-関与を全面否定・偽装献金問題

2009年12月12日 | 記事紹介
 時事通信社

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2009121601032

2009年12月16日配信

 

  記事の紹介です。

首相、17日に上申書提出=「秘書に任せていた」-関与を全面否定・偽装献金問題

鳩山由紀夫首相の資金管理団体「友愛政経懇話会」をめぐる偽装献金問題で、鳩山氏が16日、東京地検特捜部に17日に上申書を提出することを決めたことが、関係者の話で分かった。上申書では、「元秘書に任せていた」として、政治資金収支報告書への虚偽記載に対する自身の関与を全面否定する。
 特捜部は上申書の内容を検討した上で、来週、元公設第1秘書を在宅起訴し、元政策秘書と鳩山氏を不起訴処分とする方針。
 関係者によると、元公設第1秘書は2008年までの5年間に、同会の政治資金収支報告書に約3億5千万円の虚偽記載をしたとされる。原資には鳩山氏の個人資産や、母親から提供を受けた約9億円の一部が充てられていた。
 上申書で鳩山氏は「政治献金の処理など経理事務については、元公設第1秘書にすべてを任せていた」として、虚偽記載への自身の関与を全面的に否定する。
 上申書は17日に、代理人の弁護士が東京地検に持参するとみられる。(2009/12/16-22:20)

  記事の紹介終わりです。

 

 

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NTTら、衛星・きく8号を用いたセンサ情報集信システムの実証実験に成功

2009年12月12日 | 記事紹介
マイコミジャーナル

http://journal.mycom.co.jp/news/2009/12/10/004/?rt=na

2009年12月10日配信

 

  記事の紹介(抄出)です。

NTTら、衛星・きく8号を用いたセンサ情報集信システムの実証実験に成功

技術試験衛星VIII型「きく8号」

日本電信電話(以下、NTT)とNTTコミュニケーションズは12月9日、技術試験衛星VIII型「きく8号」を用い、実際の通信衛星を介してデータ集信を行う実験を行い、洋上を航海する船舶からの各種観測データを集信することに成功した。

同実証実験は、2006年度に総務省から受託した「衛星通信用中継器における周波数高密度利用技術の研究開発」を通じて開発された「多地点データ集信型衛星通信システム」の技術確認を目的としたもの。

同システムは、全国に多数散在するセンサからの様々な観測データを、衛星中継器の限られた周波数帯域を無駄なく利用し、低コストで集信できる。

   

http://journal.mycom.co.jp/news/2009/12/10/004/?rt=na

 鮮明な説明画像は、上記URLで画面をクリックしてご覧下さい。 

今回行われた実験では、きく8号を介して、千葉県館山市(東京海洋大学館山ステーション)と京都府けいはんな学研都市(NTT京阪奈ビル)に設置した観測局から、センサデータを神奈川県横須賀市(NTT横須賀研究開発センタ)に設置した集信局で集信した。

その際、2社が開発した「高効率チャネル割当技術」、「高精度周波数同期技術」、「動的一括復調技術」、「環境情報実用化技術」を適用した試作装置により、高密度にチャネル配置・送信されたセンサデータが、良好な品質で集信できることが実証された。

加えて、館山局から東京湾を航行する船舶に設置した気象センサ、GPS、Webカメラなどからの実観測データを、また、けいはんな局から事前に取得した船舶模擬データとWebカメラの実画像データを送信し、船位航跡データを電子航海海図上にリアルタイム表示するとともに、予測船位を計算処理し海図上に表示するなどのコンテクスト化機能を検証した。

 

  記事の紹介(抄出)終わりです。

 

 

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