e-note 2005

どうも、ぽんすけです。メモ帳代わりに軽くやらせてもらいます、嘘だけはつかないように・・・

ウィニー検索ソフト

2006年04月05日 17時31分14秒 | 理科系
ウィニーを使ったせいで、そのパソコンからの情報流出があとを絶たないと言うニュースが続いている。オレはそんなもんは使ってないし、使い方も知らないがたまたまWebをのぞいていたら、無料のウィニー検索ソフトがダウンロードできて、それでチェックすればあやしいソフトを発見できると書いてあった。

http://www.symantec.com/region/jp/winny/winnyaudit_download.html

↑コレがその無料ソフトのサイトです。特に思い当たるフシなどないのだけれど、万が一のためにダウンロードして検索スタートをクリックしてみました。

ガーッとPC内の情報を端から端までさらっている感じが見てとれる(もちろん詳しい事はわからない)。やはり何もなかった・・・ホッとする。

でもこの無料ソフトが実はスパイソフトだったりして・・・専門家でもないし、考え出したらキリがない。しかも最近ではウィニーなんか関係なくても情報流出するようなソフトまで出回っているとのこと・・・究極はネットに接続しないことなんだが、そういう訳にもいかんし。

あぁ、うっとうしい・・・

どうもイマイチだ・・・

2006年04月04日 14時35分34秒 | 下ネタ
新大久保の風俗に行ってきた。妙に体が、いや頭かも、が興奮していてどうにもならんので、昼前に行ってきた。いつもの店をまわり適当に写真なんか見て、だけどどれも・・・という感じ。どうもオレが麻痺してきたんだろうか??興奮しない。

女の子は若くてすごくかわいくて大当たりだったが、それでもどうもグッとこない。そろそろ潮時か・・・しばらく行くの止めるかなぁ。もしくは違う所に変えるべきか。

明日から仕事が始まる。新しい仕事なので慣れるまで苦労しそうだ。

靴底を張替え、新しいネクタイとハンカチを購入。最近電気系統について勉強していて頭が厭な疲れで一杯だ。今朝もワケの分からん夢を見て、起きたとき既にグッタリ疲れているような状態・・・最悪。

図書館で予約していた本が届く。少し息抜きに本でも読もう。




存在の耐えられない軽さ

2006年04月03日 17時32分17秒 | 
ミラン・クンデラ著『存在の耐えられない軽さ』

『苦悩する恋人たち。不思議な三角関係。男は、ひとりの男に特別な感情を抱いた。鮮烈でエロティック・・・。プラハの悲劇的政治状況下での男と女のかぎりない愛と転落を、美しく描きだす哲学的恋愛小説。』コレはこの作品のある紹介文からの引用。

この本はチェコ・スロバキア出身の作家ミラン・クンデラが、パリ亡命時代に発表し大きな反響を呼んだ現代の傑作といわれる作品。政治的大事件「プラハの春」とその凋落の時代を背景に、女たらしで優れた外科医トマーシュと田舎娘テレザ、自由奔放な画家サビナが繰り広げる愛の悲劇。限られた生のなかで、ある種の軽さは本当に耐えがたいものなのだろうか。甘くゆるやかでどこか哀しく痛々しい。究極の恋愛小説。

東西冷戦の最中、行き場のない政治的状況を舞台に描かれるラブストーリー。

この作品をはじめて知ったのは高校時代にレンタルビデオ屋でバイトをしていて、その時にこのタイトルの背表紙を見てその名前だけでカッコイイと思ったのが最初だった。パッケージの表紙はどことなくエロティックで、ちゃらちゃらした映画だと勝手に思い込んでいた。

それから数年後に偶然訪れた古本屋でこのタイトルを目にしその場で手に取った。しばらくして映画も見た。数年後に旅行でチェコを訪れた際も、この本を読んだ。そして最近本の整理をしていて、また見つけ3度目を読んだ。

交錯する男女、政治的社会的描写、作者の思い、降り注いでくる美しい言葉、いろいろな状況がコラージュのごとく組み合わされ、読むだけの楽しさではなく読みながら考える楽しさがある本のひとつだと思う。極めて重い哲学的テーマと静かに突き進む男と女の情愛が同時に併走するかのようにストーリーを作っていくところが不自然なくらい自然で、そういう意味では多少物語の展開をつかみづらい感もあるけれど、それを補って余るほどの充実した読後感がある。ゆっくり慌てることなく無理に理解しようとせず、その場その場を追って読んでいくだけでいいのでは。

こう云う楽しみ方ができる本はあまりないんじゃないか。それほど本を読んでいる訳ではないので、限られた中から言うと、ヘンリ・ミラーの「北回帰線」、開高健「夏の闇」(この本は3部作あってどれも素晴らしい)、ランボー「地獄の季節」、そしてこの「存在の耐えられない軽さ」、2度挑戦して未だに完読できていない(作品自体も未完成だが)埴谷雄高「死霊」なども、こういったタイプではないかと・・・こういった本は味わいながら楽しめるところがイイ。

たぶんミラン・クンデラの経歴と、時代背景、この作品に至るまでの彼の経過など知らないと多少この作品への見方も変わってくると思うが、それもまたいいようにも思える。私自身クンデラの詳しい経歴など知ったのは2度目を読み終えてからだ。その上で読み直した今回はまた違った味がした。とにかくいい作品だ。



小汚ねぇネコ

2006年04月02日 19時32分20秒 | ネコ
とつぜん目の前を横切るように門を飛び出してきた、黄色と白のブチ猫。着古して変色したTシャツのように汚くて、全体的に毛並みがバサバサでしかも小太り。アパートの階段をのぼると途中で手すりの脇からサッと隣の家の塀に飛び移った。いくら汚くてもデブでも、やっぱりネコは猫。やるなぁ・・・身のこなしが軽い。

塀の上で一息つくと顔を洗い始めた。こっちが見ているのなんて完全に無視してる。う~ん、悔しいけれどこう云う態度にグッと魅かれる。・・・それにしても汚い。これくらい汚いとそれはそれで立派に見えてくるから不思議だ。この堂々とした態度も奴の豪快さに拍車をかけているように見えてくる。

それにしても汚い。でもカッコイイ。少し悔しい、そして羨ましい。



ウディ・アレンはなぜ美女に愛されるのか?

2006年04月01日 17時58分33秒 | 新聞・雑誌
「なんでウディ・アレンのような男がもてるのか本当に疑問だ。いま出てる月刊プレーボーイの特集がこのウディ・アレンについて。立ち読みでいいからチェックするように」といったようなことを友人が喋った。ウディ・アレンが果たしてモテるのか?たしかに綺麗な女優に囲まれ、ミア・ファローやダイアン・キートンは美人だけれど、・・・でもモテるんだろうか??モテるんだろうなぁ。何となく疑問が残るものの、それでもウディ・アレンは個性的で都会的で自虐的で現代的だ。カッコイイのはまちがいない。

それでも何のことかよく分からないまま、とりあえず近所の本屋へ・・・月刊プレーボーイを手に取る。かなりのページに渡って特集が組まれている。

ちょっとでいいから時間のあるときに、立ち読みでいいから。いちばん最初に作家の池澤夏樹氏がウディ・アレンについて書いているものだけでもいいから読んでみてください。現代人が持つ独特の病を肯定も否定もせず、いや否定し肯定してなおかつ笑いにする彼が受け入れられない訳がない。最新作では舞台をニューヨークからロンドンに移し、それが刺激にもなったのか非常に評価の高い仕上がりになってるそうです。

『マッチポイント』スカーレット・ヨハンソンきれいだ。