うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む224

2010-09-19 05:28:52 | 日記

風太郎氏、苦汁の東京生活<o:p></o:p>

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学生中より各クラス五人ずつの委員を出し、これを以って議会的に運用せんとの校長の立案あり。<o:p></o:p>

 校長の思考は幸福なり。されどアメリカのつむじ一たび曲がるときは日本の干上がるは免れがたし。ふたたび、力、これを得ねば永遠に日本はだめなり。余は校長よりも遥かに時代遅れなりと思う。<o:p></o:p>

 夜沖電気の橋本氏来り、高須さんと、米、魚、豆、塩、果物など地方より買う話、売る話。余は商売の話など無縁の性なれども、あれほど気楽に無鉄砲に考えてよきものなりやと、傍できいていていささか心配となりたり。<o:p></o:p>

十一月二日() 晴のち曇<o:p></o:p>

 朝十時より浅田法医。午後、病院にゆきて飯田よりの荷物の山を探す。依然余の蒲団包みなし。<o:p></o:p>

 日本はマッカーサーと凄惨な運命にのたうちまわり、津々浦々まで蒼ざめてこの名と今の運命のことのみ脳天に充満させているが、世界はもう日本のことなど考えてはいまい。マッカーサーという日本にとって永劫に運命的な名も、世界の中では知らない者の方が多かろう。あたかも独逸占領のソビエト司令官の名などわれわれが知らないごとくに。<o:p></o:p>

 世界がかんがえているのは、打ち倒れた日本や独逸のことではなく原子爆弾のことである。<o:p></o:p>

 いよいよ科学が人間の手を離れてあばれ出した。人類が自ら発明した科学を制御出来るのはいつまでであろう。<o:p></o:p>

 地球も、人類の脳味噌も、滑稽で、恐ろしいものである。<o:p></o:p>

十一月三日() 快晴<o:p></o:p>

 とにかく二人とも蒲団がないのだから大変である。どうして夜寝ているかというと、二人の所持している現在ありったけの衣類を総動員するのだが、それはそれは珍妙なものである。<o:p></o:p>

 まず机かけを敷いて、足もとには蚊帳をひろげる。肩の下に座布団を一枚ずつおいて、その上に身体を横たえるわけである。二人ともオーバーがないので、レインコートをかぶって、その上にたった一枚の軍隊のカーキ色の毛布をひろげる。足の部分に衣紋かけのついたままの洋服をのせて重みをつける。枕は書物である。<o:p></o:p>

 一夜、案外暖かかったので「これ、止められないね」といったら、冗談じゃない、いつまでたっても高須さんの蒲団も田舎からこないし、こっちのやつも見つからない。けさも四時半ごろ寒さにふるえあがって眼がさめた。<o:p></o:p>

 夜いきなり屋根を引っぺがしたら、神様も抱腹せずにはいられない漫画だろう。<o:p></o:p>

 ひるから高須さんと病院へゆき、半狂乱になってまた荷物を探せども、山のごとき疎開帰りの荷の中をどうひっくり返して見ても、僕のやつはない。途中で失われたおそれ大なり。<o:p></o:p>

 午後風呂にゆき、ついでに三軒茶屋丸通へいってみたら、嬉しや! 高須さんの蒲団が来ていた。


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2 コメント

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Unknown (志村 建世)
2010-09-19 18:41:37
耐乏生活の寝床は、経験した者でないと書けないリアルさです。ここまでは私も経験せずに済んでしまいました。
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Unknown (うたのすけ)
2010-09-20 05:17:07
お早うございます。
小生、疎開地で空腹には辛い思いはしましたが、北国ながらおかげさまで寒い思いは経験しておりません。
暖房としての炬燵の炭は豊富にありました。
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