続きです<o:p></o:p>
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十一月四日(日) 快晴<o:p></o:p>
朝、日昇らんとする黎明のころから、薄暮、日の没せんとするころまで、米機の爆音雪崩れのごとし。今日も、昨日も、いつの日も。<o:p></o:p>
午前大掃除、午後、物置の屋根を壊して薪作り。<o:p></o:p>
夜橋本氏来。進駐軍より買ったという煙草をくれる。二十本入り四十円とか。<o:p></o:p>
商談しきり。青森より林檎、山形より鮭、名古屋よりカマボコ、ツクダニなど仕入れる話、話依然楽天的なり。(当時、物資の仲介役、元手なしに口先だけで物資を転がして、口銭を頂くといった商売が流行っていたものです。彼らはブローカーと言われていました。一億総ブローカーといった観がありました。)<o:p></o:p>
つづいて勝螺子のおやじと工員来る。故郷沖縄なき十人の工員を養うに力尽きんとするがごとく意気消沈、慰めようもなきほどなり。<o:p></o:p>
「もう、暴動起こす元気もねえや。この一週間お米の顔など見たこともねえんです。悪くすると一千万の中に入っちまいますぜ。……」云々。一千万とは来年餓死者の予定数なり。<o:p></o:p>
突然みんな火がついたように、復讐の話となる。近来の新聞ラジオの喧々諤々たる論をみなばかばかしいと吐き出すようにいう。剣を投げたる日本を、世界じゅう寄ってたかって、それのみか日本人までが踏んだり蹴ったりしている論議のことなり。<o:p></o:p>
いまいちど、遠き未来とてもいつの日にか逆転せん。「それまで何とかして生きていたいものだな」とみな長嘆。<o:p></o:p>
チェオフの短編を読む。<o:p></o:p>
十一月五日(月) 快晴<o:p></o:p>
病院にゆきてまた荷物探し。古清水夜来泊。<o:p></o:p>
古清水氏の予測によれば、将来見込みあるは銀座、新宿よりも浅草なりと。田舎と関係深きところあればなり。<o:p></o:p>
商売をやるに最もうるさきは警察にして、これさえ手に入れればあとは大したことはない。儲かるのは少なくとも来年中にして、今のような何もかもメチャクチャの混沌時代は今年じゅうならん。闇商売も次第になくなりゆくべしとの話。<o:p></o:p>
市井を愛するような口ぶりをする人に荷風がある。しかし市井というものは、あまり愉快なものではない。余の上京以来の牛込袋町、五反田、東大久保、下目黒、ことごとくそうであった。今度の三軒茶屋はどうであろう。<o:p></o:p>
となりの馬上吾郎という大工さんは好人物らしい。日向で鉋など鳴らしながら、「ねえ、ねえ、愛して頂戴ね」などヘンな声出して唄っている。おかみさんは無愛想で口が重くておっとりして、それだけに親切な善人である。子供がいないので、貧しく静かな生活の中に、仄かな寂しさが風のように吹いている。<o:p></o:p>
東京新聞に「戦争責任論」と題し、帝大教授横田喜三郎が、日本は口に自衛を説きながら侵略戦を行った。この「不当なる戦争」という痛感から日本は再出発しなければならぬといっている。
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