うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む216

2010-09-11 05:23:21 | 日記

ホームは怒声罵声そして悲鳴<o:p></o:p>

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老人は網棚を祈るがごとく見上げたが、むろんどこにも荷物をのせる空間はない。老人はともかくといった顔でリュックを肩から外して足元に置こうとした。足もともそれこそ立錐の余地はない。傍の中年女が大げさに顔をしかめて、「イタ、タ、タ、ああイタ!」と悲鳴をあげる。<o:p></o:p>

 窓をあけるとそこからもぐり込んで来るので、人いきれでむし暑いのにガラス窓はしめっきりだ。駅につくと外のホームからどんどん拳で叩いて「入れてやってくださあい、お願いです」と半狂乱にわめきたてるのだが、みな知らん顔をしている。<o:p></o:p>

 土浦で若い駅員が窓硝子を壊れるほど叩いて、<o:p></o:p>

 「こらっ、中の奴ら、開けんか。あけろ、こらっ」<o:p></o:p>

 と、叫んだ。<o:p></o:p>

 すると、その内側の殺気ばしった顔をした男がいきなり硝子窓をあけて、ぐいと駅員の手首をつかんだ。<o:p></o:p>

 「きさま何だ」<o:p></o:p>

 「駅員です」<o:p></o:p>

 と駅員はめんくらって答えた。<o:p></o:p>

 「駅員なら駅員らしくしろ。何だいまの言い草は。戦争中たあちがうぞ。きさま何て名だ」<o:p></o:p>

 「土浦の松尾です」<o:p></o:p>

 「土浦の松尾、よし」<o:p></o:p>

 というと、中の男またがちんと窓を下ろして、知らん顔をしている。鉄道関係の人でも何でもないらしい。唯々諾々として羊のような今の乗客をなめている駅員の心胆を寒からしめただけらしい。<o:p></o:p>

 汽車が出ると、ひとりごとのように、<o:p></o:p>

 「戦争中には駅員なんてやつが大きな面をしやがったから、これからは少しおどしてやるに限る。何でも逆になったんだから」<o:p></o:p>

 と、いった。<o:p></o:p>

 人間世界の醜さ、凄惨さ、あさましさにくらべて、窓外の風景の何という美しさ。碧い空に白雲流れ、見わたすかぎりの田園は黄金の波を打っている。国破れて山河あり。<o:p></o:p>

 東京近くなったとき、デッキの方から、<o:p></o:p>

 諸君よ、諸君、同胞諸君。(彼は同胞をとくにはらからと叫んだ)吾々の兄弟姉妹よ、お互いにいたわり合いましょう、席を譲り合いましょう。是非三人がけ、三人がけになすっていただきます。<o:p></o:p>

 と、野太い大声でいいながらやって来た人があった。黒い戦闘帽をかぶり、骨組み大きい、頬にイボのようなほくろのある老人であった。僕の前に中学生が座っていたが、それを指して、<o:p></o:p>

 「そこの中学生君…」といいかけたら、中学生はピョコンと立ち上がった。<o:p></o:p>

 「ああいや、立たなくてもいいです。三人がけ、君、立たなくても。…」<o:p></o:p>

 と老人はいったが、中学生は顔を真っ赤にしてもう座ろうとはしなかった。


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