うたのすけの日常

日々の単なる日記等

学童疎開 その十四

2015-07-10 01:25:23 | 学童疎開の思い出

うたのすけの日常 

2009-10-22 04:20:41 | 学童疎開の思い出

学童疎開、出発です

 

 1994年夏、国策に沿っての学童の集団疎開に参加しました。最初縁故疎開で茨城の稲田の叔父宅に、妹二人と厄介になったのですが、いろいろトラブルが持ち上がって僅か10日で東京へ逆戻りしました。そのあとあたしだけ急遽、集団疎開に参加した事情があります。既に参加人員も決まって現地の宿への割り振りも確定していたのですが、やっとその枠に潜り込んだ格好になりました。

 一つの小学校があらかたそのままそっくり、東北の田舎町に移動するわけですから、今考えると政府も自治体も知恵を絞っての国家的戦略であったわけです。とにかく東京はじめ各都市が早い時期に、空襲に見舞われることは間違いのない現実になったのです。

 出発の数日前に荷物の発送です。各家庭ごとにリヤカーや荷車で夜具や手回り品を梱包して積み上げ、校庭に集合です。そこでいろいろ学校側からの点検があったと思います。そのあと列をなして発送にぞろぞろ駅へ向かったことを、微かに覚えております。

 そしていよいよ数日後出発です。確か学校に集合し父兄が付き添って、最寄りの駅から上野駅まで賑やかな一団だった筈です。修学旅行の延長のような気分だったのではないでしょうか、まだまだ空襲が身近に感じていなかったのでしょう。まさか♪勝って来るぞと勇ましく♪なんて軍歌は歌わなかったと思いますが、そんな雰囲気は十分あったと思います。

 駅頭での父兄たちとの別れはまさに惜別、「体に気を付けて」「みんな仲良くな」の言葉が発車まで、ホームと車窓との間で言い交わされました。このことは想像半分、確かそうだった筈と憶測半分といったところでありますが、当たらずとも遠からずといったところであります。駅員さんたちがずらりと並んで挙手の礼で送ってくれたのが印象に強く残っています。

 車中何事もなく、そうでした肝心なことを忘れました。汽車は夜行列車でして、目的地には早朝に到着予定でした。

 ここでおわびしておきます。話がいろいろ前後して申し訳ありません。2015-7-10  



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