承前
清子 気の毒絵描いたようねあの奥さん。
謙三 駅から離れているから地回りに脅されまいと、あすこに屋台出したんだそうだが、三日もしねえうちに太井の子分が誰に断わって屋台を出したんだと、早速ショバ代取立てに来たそうだよ。
よね おまけに博打に強引に誘われたり、何時の間にか旦那さん太井の子分みたいにされちゃってね、今度の選挙じゃ運動員にされ、夜の商売だってえのに朝っから狩り出されて、全く気の毒だよ。奥さん赤ん坊ひっちょってその間一人で屋台を……。
清子 まったく、言うこととやること正反対だものね。こないだの演説なによ!口から出まかせってあのことよね。
舞台溶暗 太井の街頭演説が流れる。
不肖この太井三郎、粉骨砕身地元皆さんのため、この町を一日も早く復興させる事を約束します。生活の安定主食の安定配給を旗印に、区議会に出馬する決意に至りました。ここに七重の膝を八重に折り、伏して皆様のご支援を願う次第であります。旗印、掲げる目標はそれだけではありませんぞ!先ずは混沌そして混迷を極める駅前の整地そして区画整理、即ち碁盤の目のように道路を整備し、葦張り、板張りのバラックは勿論取っ払い、近代的な商店の誘致繁栄に議会に働きかけます。諸肌脱いで議場を鉄火場と心得、反対する野郎共がいたら叩ッ切ても、やると言ったらやる覚悟であります。(三々五々と集まってきた聴衆、子分たちの強制で拍手する)次なる約束は皆様の可愛い子供の教育です。青空教室の解消、即ち近代的な教室の拡充であります。二部授業なぞ以ての外即廃止に持っていきますぞ。更に完全給食の実施です。皆様の子供は絶対に飢えさせません!いつまでもアメリカに頼っちゃいねえ。太井組、一家を挙げて買出し部隊を編成、米どころを隈なく詮索して買い上げ、この町の子供たちにギンシャリ、ギンシャリですぞ!給食を実行します!体を張っても!食糧管理法なんか太井の眼中にはありません。糞食らえであります。衣食たりて礼節を知る、腹を空かしてちゃあ鉛筆一本持てやしませんぞ!やると言ったら太井はやる。太井三郎に二言は有りませんぞ!次なる旗印は、これは肝心かなめ。アメリカ万歳民主主義大歓迎、日本の赤化防止。ソ連は日ソ不可侵条約を破って満州はおろか、樺太はじめ歯舞色丹なぞ北方四島を火事場泥棒も真っ青ってな案配で盗みやがったんですぞ。ソ連に仁義はない!飢える日本にシャケ一匹送って来たかってんだ。そこへいくとアメリカは違う。小麦粉やとんもろこし牛乳とじゃんじゃん送ってくれる。日本はアメリカに見習い、民主主義を確立しなくちゃいけません。男太井は体を張って、その実現に邁進する覚悟であります。どうか皆さんの清き一票を、地元の繁栄に命を賭ける男の中の男一匹、太井三郎にどうかお願いします。
舞台溶明 謙三の店
その時、英輔が凄い勢いで下手から飛び込んでくる。
英輔 おう、みんな起きてたか、驚くんじゃないぞ吉報だ!綾ちゃんの家族が帰って来たぞ、お袋さんと弟二人揃ってだ!
三人、それぞれ言葉にならぬうめきに近い声を上げて英輔を囲む。奥から夏子も飛び出して来る
謙三 こいつは春から縁起がいいや。それで綾ちゃんは?
英輔 まあみんな坐ってくれ、話はそれからだ。邦夫はいないのか、まあいい。
よね 皆さん元気なんだろう?
英輔 元気だ、格好は上野の浮浪者顔負けってところだが、なにはさておき元気だ。顔色もいいし、とにかく元気だ。
よね そうかいそうかい、それはなによりだ英さん、ご苦労さんだったねよねえ。
英輔 ほんとだ小母ちゃん、家族三人抱き合っちゃって、涙、涙だ……俺、たまらなくなっちゃって、てめえじゃ涙なんかに縁のねえ人間だと思ってたが、だらしがねえ、後から後から涙が溢れてきやがんだよ。
よね (テーブルに打ち伏し激しく泣く)綾ちゃんの長い苦労がやっと実ったね、あたしゃ嬉しいよ。
清子 英さん、それで皆さん今夜は?
英輔 あらまし俺から綾ちゃんの今をお袋さんに話したんだが、また涙だよ、小母ちゃんたちのことを座り込んじゃって、手合わして感謝してたぜ。そうよ清ちゃん、そのこと、そのこと、今夜はとりあえず、都で用意してある引揚者援護会とかがやってる宿泊所に一泊するそうだ。
よね それで……
謙三 それでいつこっちへ来てくれるんだい。お袋さんたちにご苦労様でしたの一言を言わして貰いてえよ。
清子 それに綾ちゃんの喜んでいる顔が見たいわねお母ちゃん。
よね あたしは涙が乾く暇がないよねきっと。
謙三 そんなこと改まって断るこたない、いいからずっと泣いてるがいいよ。俺も付き合うぜ。
夏子 あたしも泣いちゃう。
英輔 まあそんなところだろうな、遠慮しないで泣いておやりよ小母ちゃん。夏っちゃんも。それで綾ちゃんが言うには明日、店の暇んなる午過ぎてから来るってんだ。
よね なんだいつまんない遠慮して、早くに来りゃいいのに。
謙三 まあなんだな、夜通し今夜は家族で語り明かすんだろうよ、泣きの涙で。積もる話にキリはねえ筈よ、ゆっくり出て来なさるがいいさ。
清子 明日あたし休むわ、なんか支度しなくてはねお母ちゃん。
英輔 清ちゃん、俺もなにか甘いもん集めてくるよ。
清子 そうね、英さんならそこはお手のもんだもんね。そっちの方お願いするわ。
よね すまないねえ。
英輔 それより邦夫遅いな、来ることになってんだがなあ……
謙三 邦夫はみんなと上野で会ったのかい英さん?
英輔 (歯切れ悪く)ああ、たまたま駅で邦夫と会うことになっててね、後でこっちへ来るからって先別れたんだが、まあそのうちに来るだろう。ところで小父さんも小母ちゃんも、それに清ちゃんもこんな時だが聞いてくれ、邦夫の事だが、PXの横流しの件すっぱりと手を引かしたからね。(みな目を輝かす)GIと邦夫のルートきっぱりと切った。
よね ほんとう?
英輔 多少ゴネたが、甘い顔はしてられねえ、面は張らなかったが脅し半分懇々と言ってやった。邦夫もやっと納得してくれたよ。近々家に落ち着くんじゃないかな、目は当分離せねえが、ははっ、とにかく危ない橋からは手を引いたから安心していいよ。(清子首を傾げている)
謙三 (よねと深々とテーブルに額をつける)すまない、この通りだ。
英輔 小父さんも小母ちゃんも止してくれよ。
よね あら、こんな所でお茶も淹れないで、上がろうよ。清子、(清子、厨房に立つ)
英輔 いや、ゆっくりもしてられないんだ。だけどよ小父さん、これからも綾ちゃんたちは苦労だぜ、田舎の暮らしも大変だと思うよ。
謙三 そうよ、俺は目に浮かぶんだ英さん、たいして広くもねえ庭の片隅の、雨露凌ぐだけの鶏小屋みてえなあばら家での生活が待ってんじゃねえかと……
よね やだよあんた!せっかくのお目出度い晩に。
英輔 いや小母ちゃん、小父さんの言う通りだよ。だから俺は邦夫に、綾ちゃんのこと想ってんならいい加減にやくざな暮らしから足洗えって、あっ、(言葉に詰まる)
謙三とよね、愕然とする。清子はお盆を持ったまま目を据える。
謙三(落ち着きを戻し)
英さん、今ポロっと何かこぼしたね。
英輔 何もこぼしゃしないよ。とにかく俺は帰る。(英輔戸口に走り、清子後を追い表に出る。清子後手で戸を閉める。互いに戸から離れる)
清子 英さん、今の落し物しっかり受け止めたわよ。いつからなの二人は、上野からでしょう?いつ知ったの英さんは?……ただ、あたしは英さん綾ちゃんを好きなんじゃないかと……二人の仲を知って……そうなんでしょう?妹みたいに思ってるって言ってるけど……それは嘘でしょう!ホントは…
英輔 ばか言っちゃいけないよ、俺は初っから、彼女を妹みてえに思ってお節介焼いてただけだぜ、ただそれだけよ清ちゃん。清ちゃん、二人を幸せにしてやんなきゃな。小母ちゃん喜ぶよな……
清子 英輔さん……
英輔 それと今度の邦夫の事、ジュンの力借りた。礼を言っといてくれ。それから二人の事しっかり頼まれているぜ。はははっ……ジュンは誠実な男だ。清ちゃん、幸せになるんだな。
暗転
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