二幕
一幕から五年ほどの歳月が流れた。飢餓の恐怖も消え、街は復興の槌音も高らかに庶民
の暮らしも向上の一途を辿っている。紗幕の中の、此処、謙三の店も建て直されたのか、
店も広く取られてどうやら二階建てのようである。店は午の賑わいか客が出入りし、そして立ち働く邦夫綾子の睦まじそうな姿、よねが笑顔で客に対している。全て無言で音もなく進行して行く。そんな中、春の日差しを真っ向に浴び、下手より乳母車を押した謙三が、表戸の端に腰をかがめて赤子をあやす。その姿はまさに好々爺といった風情そのものである。やがてナレーションが淡々と流れる
N 邦夫が太井一家からリンチを受け、傷の手当てを受けた夜、明日朝又来ると言って帰った英輔は現れなかった。英輔が太井の腕を切り落とし、警察に自首したというニュースはたちどころに街中に走り、人々の耳目は警察の動きに注目した。警察、役所の行動は、GHQの後ろ盾もあって素早かった。傷害事件の捜査は二の次に、英輔の事件を待ってましたとばかりに、駅前のバラックは強制退去、取り壊し、整地、住民への地所返還。矢継ぎ早の太井組の集中手入れ、太井組は壊滅に追いやられた。街は復興へと歩み始めている。
紗幕が上がり、音声が入る。下手より男一人中折れを目深に被り、周囲の気配を気にするように店に近づき、暖簾越しに店内を覗いている。それに気付いた謙三立ち上がる。
謙三 あのう、あんた?
英輔 (謙三に気付き足早に近寄る)小父さん、驚かしてすまない英輔だよ。
謙三 英さん、英さんだよな。間違いねえや、何で知らせてくんなかったんだ。指折り数えて待ってたんだぜみんなしてよ。さっ、入ってくれ。
英輔 小父さん、俺はみんなの元気な姿を見るだけに寄ったんだ。会うつもりはない、これで良いんだよ。おう、邦夫の子供だね(乳母車を覗き込み)ふふっ、そっくりだ邦夫に、目元は綾ちゃんかな…小父さんも小母ちゃんも元気そうだ。それさえ確かめりゃあこの土地には用はない。
謙三 そりゃああんまりだ英さん、面会に行ったって一度も会おうともしねえで。せめて邦夫だけにも……あいつは堅気に戻れたのも英さんのおかげと……
英輔 それだよ小父さん、よく聞いてくれ、邦夫に会ったらあいつのことだ、恩義だ仁義だとか振り回すに違いない。俺というやくざな風に触れさせて、眠っている子を無理矢理に起こすことはねえ、邦夫には今が一番大事な時だ。しっかりと根っこをおろすまでは会っちゃいけねえんだよ。
謙三 英さん……
英輔 分かってくれ……清ちゃんも遠いアメリカで元気なようだし……俺の来たことは皆に内緒だぜ、いいね。小母ちゃんにやさしくな……小父チャン……(追い縋る謙三の手を振り切って足早に去って行く。店の戸が開き、邦夫夫婦が出て来る)
よね (暖簾から顔を出し)あんた誰かいるのかい?話し声がしてたようだけど……
謙三 誰もいやしないよ。
綾子 おとうさん!今、駅の方へ行った人、だれ?
謙三 知るかいそんなこと!単なる通行人よ。(そそくさと乳母車を押して上手へ去る)
綾子一人残り、英輔の消えた道を凝っと見てしばし佇ずみ、やがて肩を落として店に入
る。と同時に上手から久子血相変え飛び出してくる。すっかり堅気の風である。
久子 (舞台中央に足を止め、振り返り腰を屈め)小父さーん…ありがとーう……英さん待って…(駅への道をスカートの裾を翻して駆けて行く)
幕
久子ともっと絡めばと反省しています。