うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む222

2010-09-17 04:53:16 | 日記

買出しにゆく<o:p></o:p>

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午後淀橋病院にゆけども荷物いまだ到着せず。強引に東京に帰還せしめたる学校にして、爾来半月を経ていまだ荷物を疎開先より搬出し得ざるは何ごとぞやと談判すれど、日本にひとしく責任者あいまいにして、無益の談判に終る。<o:p></o:p>

駅の売店デパート、煙草配給所及びいたるところに宣伝のたすきをかけ、旗を持ちたる宝くじの販売員を見る。ほんの先日まで勝札といいて売りたるものなり。一枚十円一等十万円、四等まで純綿の金巾、くじ外れ四枚にて金鵄一箱なり。<o:p></o:p>

チェホフの短編を読む。<o:p></o:p>

十月三十日() 朝晴午後曇夜雨<o:p></o:p>

 四時半起床。九時高須さんと一緒にリュックを背負って買い出しに、御茶ノ水から千葉県の津田沼へ。<o:p></o:p>

 十時三十分着。少し歩いて京成バスを待つ。大行列。時々百姓が車をひいて通ると、みんな「何だ?」といって首をさしのばす。飢えた眼である。<o:p></o:p>

 青い野菜畑りつづく地平線にレンズのような雲が浮かんでいる。一時間ばかり待って、汚いバスにすし詰めになって、習志野を通って終点につく。ここから林の中の白い路を歩いて大和田にゆく。風が渡ると黄塵万丈三々五々リュックを背負った買出部隊がつづく。<o:p></o:p>

 富士アイス牧場傍の小さな家に古清水さんを訪ねるつもりでいったのだが(古清水さんの奥さんの里)古清水さんは留守で、勝螺子のおやじが女工を一人つれて来ていた。野菜をもらいに来たのだが、古清水さんがいないので奥さんに薩摩芋をもらって帰る。勝は二人で五貫目ずつ背負っていた。こちらは芋はきらいだが、ほかに買うものがないので、二人合わせて五貫目もらう。<o:p></o:p>

 勝は沖縄の人である。雇っている十人ばかりの職工女工もみな沖縄の人間で、終戦以来工場は休んでいるが、これらの雇人をくびにするわけにもゆかず、食糧の補給に大変らしい。芋でも一貫十円するけれど、米一升七十円よりもまだマシだという。(終戦の翌年バラックを建てるのに、大工さん食べさせる米がやはりその金額だったのを微かに記憶にあります。大工さんに米飯を出し、家族は芋メシやスイトンでした。大工さんは寝床と三食支給が条件でした。辛うじて焼け残った姉達の着物がお米に代わりました。)<o:p></o:p>

 終点に戻ってバスを待ってみたが、行列は長いしバスは来ないし、たとえ来ても乗れるかどうか疑問なので、いっそ歩いちゃえということになり、四人で習志野を横切る。……<o:p></o:p>

路の遠いのに閉口した。足にマメが出来たような痛みが生じた。ヘトヘトになって津田沼駅に着く。<o:p></o:p>

 壁に、椀に梅の実みたいなものが二つ入ったへたくそな絵が貼ってあって、その上に、<o:p></o:p>

 「長い道を歩いてみると乗物の有難味がわかる。つねにその感謝の気持ちで。里見弴、社団法人、日本文学報国会」と書いてあった。弴先生もポスター書きはあまり上手ではない。<o:p></o:p>

 東京に帰る電車にも芋買いの大群が充満している。いまにも死にそうな老婆が八貫目くらいの大袋を背負っているから驚かざるを得ない。御茶ノ水から渋谷までの電車も、息もつけぬ混みよう。男も女も全身を密着させてハーハーいっているが、性欲など感じるにはあまりに物凄くて、激烈で、第一お互いがむさ苦しい。


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