うたのすけの日常

日々の単なる日記等

亡き母を想う

2006-04-02 11:48:30 | エッセー
 弁当箱のふたをとる、中学校の昼食時、騒然とした中にも開放感が教室中に充満する。今日の私の弁当はいつもとは格段の相違で真っ白である、ぎんしゃりである。いつもなら進駐軍の援助物資であるとうもろこしで作った団子が詰められ、それに粗末なおかずが添えられているだけだ。 「みんなの弁当すげえんだよな、ぎんしゃりだよ母ちゃん、パンだって真っ白なの食ってるんだよなぁ」「お前、黄色い団子や黒いパンたべてるの恥ずかしいのかい」「恥ずかしくなんかないよ、おれ堂々と食ってるよ」 昨夜母とそんな話をしたばかりである、母ちゃん無理したな、私は飯を口に運んだ。うっ、やったな母ちゃん、一瞬複雑な味が口中を走る。弁当の中味はぎんしゃりとは程遠い、大根を極細に千切りした炊き込みご飯だ、それも米二に大根八の割合だろう、おまけん真ん中に梅干とは芸がこまかい。私は母にエールを送りたい気持ちだった。 当時、終戦直後のことだが、私の家は戦前からの家業をかろうじて続けていた、外食券食堂と呼ばれたそれである。焼け跡にやっと建てられたバラックの店、そんな中、母は闇米を決して扱わず、当然客に提供するものは代用食のみ、外食券のない客は丁重に断り、世にも不思議な顔をされ、時には怒声をあびたりした。母の思いはただ私たち子供に、世間様から後ろ指を指させたくないという一念だったのだ。 私の生まれ育った下町は、曲がったことに対する攻撃は辛辣容赦がない。人の口に戸は立てられない、どこそこの誰は闇で警察に引っ張られたといったうわさは瞬時に街中に広まる。 歌の文句ではないが、「ぼろは着てても心は錦…」 母は家族みんなが、苦労の時代だったからこそ、胸を張って生き抜きたかったのだ。

猫と暮らす

2006-04-02 09:36:07 | エッセー
 あたしども夫婦の飼い猫花子は、拾い育てた野良猫、白の生んだ一匹である。白は勿論、兄弟である太郎、次郎も既に亡い。白は老衰で、太郎は交通事故、次郎は生まれながらの心臓病で苦しみ、見るに耐えられず医者の勧めもあって安楽死の処置をとった。一匹のこった花は七才、人間に例えれば老境に入りかけたというか、あたしどもと大差ない年齢である。
 定年後数年たった今、夫婦だけで住む生活に、花は心の慰めとして掛け替えのない存在だが、反面、ずしりと心に重荷を負わしている、それも年を経るごとに。
 妻は常日頃あたしに向かって言う、「一日でもいいからあたしより先に逝ってください」。しかし最近妻のこの言葉がむなしくきこえてならない、二人の間にもの言わぬ花という生き物が立ちはだかっているからだ。人見知りの激しい極端に臆病な性格である、あたしども以外に決してなつかず餌も受け付けぬ、異常ともいえる恐怖心の強い猫である。
 花にはあたしども抜きで生きていく術がない。妻はこの事を口にしない、辛いのであろうと思う。彼女の目にはあたしと花が二重映しになっているのではないだろうか。
 常に人間の目線より上の箪笥やテレビの上にしか安心をえられぬ花子。あたしは妻の言葉をなぞってつぶやく、「花よ、一分でもいい、あたしより先に安らかに死んでくれ」と。
 なぜにあの時、野良猫の白を、多分捨てられたのであろう白を、家の中へ招じ入れてしまったのか、鳴き声に耳をふさいでいたら、今の花はいない。
 だがあたしはそんな後悔を押しやり、今日も花をみる。