平成二十九年三月二十八日(火)
十三日目、日馬富士の猛攻に土俵下に転落、左胸と左上腕を負傷したが翌日横綱鶴竜戦に出場した。しかし何の抵抗も出来ずに惨敗を喫した。この時点で二敗、照ノ富士一敗と、千秋楽に二勝しなければ優勝なしである。二十六日、小生は観戦するに不甲斐なく耐えられず、当日出先から帰るや否や毛布にくるまって昼寝と決め込む始末であった。
かなりの時間寝ていたようだ。目覚めでテレビを観やれば、なんとなく模様が変だ。徐々に頭がはっきりしてくると、なんと場面は稀勢の里が連続優勝の喜びを、涙ながら語っているではないか。それからが大変だった。あちこちチャンネルを回して夜更けまで稀勢の里を追った。取り組みも十二分に観た。本割で下半身をしっかりと落とし、得意の左をかばって右からの突き落とし、決定戦でも、もろざしで押し込まれたが右の小手投げで大関を破った。
照ノ富士は、稀勢の里にリードした段階で、自分の優勝を確信したのか、パレードで優勝旗を安美錦に持ってもらうと語っていた。彼自身千秋楽には古傷の状態が深刻であったようだ。照ノ富士、そして稀勢の里の来場所までにじっくりと傷の手当をお願いしたい。
なお照ノ富士の本割の二敗の一つは、稀勢の里の弟弟子高安に喫したものである。