映画「口づけ」を観る
先日吹奏楽のコンサートの帰りに観る予定を見送った日本映画「口づけ」を、CMの大いに泣けるといった殺し文句に誘われたわけではありませんが、かみさんと2人して観てきました。ホントに泣かされてしまいました。
知的障害者のグループホームでの日常を描いたものでして、ある日知的障害を持つ娘とともに、ホームで働きながら暮らそうと元漫画家の父親がホームを訪ねるとこから話は始まります。娘には施設に居たとき、そこを脱け出したさいに男に誘われて不幸な目に遭うとといった過去があります。誰にも優しい、そして疑心を知らぬことが不幸を招き、以来男性に対して恐怖心が拭えないでいます。そして時たま情緒不安定な状態に苛まれますが、ホームの生活に和み、それに父親が一緒に居るということから安定した日々を送るようになります。
しかし穏やかな安定した日常は長くは続きません。ホームを襲う問題点が明らかに、そして障害者に対する世間の無理解や、ホームの経営状態の危惧が父親を思わぬ危機に追い込んで行くのです。ある日ホームを閉鎖しなくてはならぬ事情が経営者の妻から話されます。経営の基盤は保護者から納入される入居者の障害年金であり、それが何か月も納入されず、保護者の生活費、或いは遊興費に流用されてしまっている状態であるというのです。
そんな中、父親の末期がんが明らかになり、彼は医者である経営者の紹介で娘を再び施設に入所させることとなります。父親が医者と交わす話の中で、知的障害者の暗澹たる実像が浮き上がってきます。
「世間でいうところのホームレス、路上生活に落ちる理由は様々ではあるが、健常者であれば、ブルーシートや段ボールを使ってねぐらを作る。空き缶、古雑誌を集めて生活の糧を賄うことが出来るだろう。しかし障害者が親に死なれ、兄弟との仲が疎遠になったら彼ら彼女らはたった一人、生きる道を閉ざされて、空腹を埋めるには盗みの道しか残されていないのである。」そして刑務所には出たり入ったりの知的障害者が膨大な数になると言うのである。
日をおかず破局は訪れる。父親は既に喀血を繰り返し、ひん死といってもいい状態である。施設に馴染めず閉鎖されたホームで、娘は父親に死期の近い事を知らされ一緒に死にたいと抱きつき、父は娘に頬ずりし握っていた娘の手から己の手を外して娘の首に巻きつける。
娘は死に、父親は逮捕される。経営者の妻の「なぜ一言打ち明けてくれなかったの」という言葉が耳に残る。
先ずは懐かしい顔ぶれに嬉しくなります。佐分利信・桑野通子・三宅邦子・笠智衆・坂本武・河村黎吉等々でして、タイトルは「兄とその妹」。山田洋一監督推奨の「日本の名画百選・家族編」の一作であります。
内容はタイトルから自ずと推量されるように、兄妹の細やかな愛情が描かれ、今はとんと薄くなりつつある古き日本の家族愛といったものが正面に押し出され、ジーとくるものがあり、十分に納得させられました。場面場面がふむふむと懐かしく、そうだったよな、そうだよなと頷くばかり大いに堪能させられます。
時代は既にシナ事変の戦時下ではあり、ラストにそれらしき模様を匂わされますが、まだまだ平和な庶民の日常生活、いくらかハイクラスの家庭かも知れませんが、夫婦の優しい交情がなんとも微笑ましく同時に描かれています。ああ、昔は良かったな、なんて子供のころではありますが、懐旧の念一入でありました。
現代の女性の非難を恐れずに、感じ入った場面場面を語らして頂きますれば、そんな大仰に構えることはありませんが、先ずは最初にです。旦那が夜も遅くお勤めからのご帰宅であります。玄関先まで深夜に関わらずお出迎えです。座敷にたつ旦那の背後に廻り、滑り落ちる背広をすかさず受け止め下に置き、和服を着せ帯を手渡し、上着ズボンとハンガーにつるして壁際に掛けます。食堂に座る旦那にお茶を淹れ、風呂か飯かと問いかけます。
朝は朝で夜の逆のシーンが演じられます。座敷に立つ旦那にズボン、ワイシャツ、ネクタイ上着と出勤の支度であります。着せ替え人形そのものでありました。そうでした。その前に上着のブラッシングも怠りません。
一足先に玄関に出た妹は通勤姿のまま、三和土で兄の靴にせっせとブラシをかけています。思わず「えらい」と言ってしまいます。背景として高級そうな革靴がなん足か置かれています。
またまた思わず声を発します。「うちになんか革靴なんて親父の一足ぐらいなもんだったな」、「うちだってそうよ。革靴なんてなかったわよ」これはかみさん。「草鞋か」小生言わなくてもいいことを口にします。かみさん別に気を悪くもせず、「まさか、下駄よ。それに草履、そうね、草鞋に近いかも」。
二人が出勤した後はかみさん、いや奥さんが家中の掃除にかかります、ハタキをくまなくかけ長い柄の箒で座敷の掃除、そして箪笥の上やら廊下板の間の雑巾がけであります。
それでもこの旦那さん、休日の日ではありましたが、夕刻せっせと風呂焚きに精を出します。当時はまだ燃料は薪です。まだまだガスだの灯油だのは、風呂の燃料としては使われていなかった様子が伺えます。
そういつまで懐旧の念にひたっていてもせん無きことでありますので、この辺でとどめておきますが、最後に妹の誕生日会が友だち数人を招いてのシーンがありました。「あたしら誕生日のお祝いなんかなかったな」。「うちだってそうよ、クリスマスなんてもなかったし」
「そりゃあそうだ、飯やと百姓じゃ」。
NHKで放映された総集編を録画しておいたものです
戦後ヒットした「君の名」をも凌ぐメロドラマの傑作ではないでしょうか。なにしろ昭和12年製作でして、年端もいかぬ小生が大ヒットした主題歌を、うろ覚えながら口ずさんでいたぐらいですから。
原作は「婦人倶楽部」に連載された川口松太郎の「愛染かつら」で、主題歌「旅の夜風」。西条八十作詞、万城目正作曲ですからヒットしないわけはありません。
物語は大病院の長男津村浩三と子持ちの看護婦高石かつ枝の行き違いの恋模様、美男上原健と美女田中絹江が絡んでの悲恋の行方。東京、京都、熱海と舞台は移ります。さぞかし満都の女性の紅涙を絞った事でありましょう。
小生も初めて観る映画ではありましたが、ジーンときて思わずかみさんに言ったものです。「泣けるなあー」と。おまけに登場する俳優さんたちがみな懐かしき人たちばかり。その顔を見たり声を聴くだけで、もうだめでした。自ずと泣けてきてしまうのです。
斉藤達雄・佐分利信・河村黎吉・坂本武・水戸光子・桑野道子・吉川満子・岡村文子であります。
またまた演出も心得たものでして、恋人の浩三と京都に駆け落ちするかつ枝が、娘の急病で遅れながら駅に駆けつけるシーンで「旅の夜風」が流れるのです。たまったものではありません。
花も嵐も 踏み越えて
行くが男の 生きる道
泣いてくれるな ほろほろ鳥よ
月の比叡を 独り行く
優しかの君 ただ独り
発たせまつりし 旅の空
可愛子供は 女の命
なぜに淋しい 子守唄
加茂の河原に 秋長けて
肌に夜風が 沁みわたる
男柳が なに泣くものか
風に揺れるは 影ばかり
愛の山河 雲幾重
心ごころを 隔てても
待てば来る来る 愛染かつら
やがて芽をふく 春が来る
歌手は霧島昇とミス・コロンビアでして、「愛染コンビ」と呼ばれるようになったそうです。二人はその後結婚し、霧島昇松原操のおしどりコンビとして人気を博しました。
なおこの歌の一番の一節 ♪月の比叡を 独り行く♪を小生長年の間、「月の悲影を 独り行く」と勘違いして口ずさんでおりました。
内原は常磐線を水戸から上りで2つ目です
子供の日、前日の荒れた天気とは裏腹に見事に朝から晴れ上がって、列車の窓から見る風景は新緑そのものであります。実は見たい映画が水戸では上映されておらず、バス電車と乗り継いで早朝から足を運んだわけであります。
イオンモールは駅から歩くにはちょっと遠く、車ではあっという間の距離にあり、朝からどんどん気温が上昇していますのでタクシーを利用します。生まれてこのかた、バス、電車にタクシーと乗り継いでの映画鑑賞は初めての経験、これも地方都市に住む故のなせる業かと神妙な気分になりました。
さて映画ですが「わが母の記」井上靖の原作でして、なかなか骨のある映画といえます。ベストセラー作家の複雑な生い立ちを主軸に、まさに昔の男の面目躍如たる姿は現代では間違いなく排斥されるものでしょうが、なかなか小気味よいものがありました。筆一本で一家を支える、今風で言えば体育系とでもいうのでしょうか、誰のおかげで生活できるのかと子どもたちを一喝するさまは見事でありました。
演じる役所広司は母との確執を、そして徐々にボケの始まった母の言葉行動から、内面の真実を垣間見せられていき、母の死をむかえるわけでありますがここが圧巻、胸が詰まります。母を演じるは樹木希林でして、飄々とした老いゆく姿に観客は笑いそして泣くのです。
見終って久し振りのイオンモール、かみさん共々ゆっくりとショッピング。子供の日とあって大変な賑わい、広大な駐車場が満杯なのはもちろん親子連れアベックと人の群れ、一昔前の森林風景は一変してショッピング街と変化したわけであります。小生の記憶に間違いなければ戦前戦中と、この内原地区には満蒙開拓の先鋒として青少年の訓練が行われたところがあります。その名も「内原訓練所」。
帰りは駅まで循環バスに恵まれ、100円で駅まで送られました。水戸からのバスは上手く連絡があって3時15分発。家に着いて一汗拭いました。朝8時50分のバスで出かけたわけでありますので、正直かなり疲れました。
昭和36年製作の大映映画、市村崑監督です。主演は山本富士子に船越英二。脇は岸田京子、渡辺美佐子、浦辺粂子といった懐かしい顔ぶれで大いに楽しませて頂きました。昭和36年は映画の題名通りに娘も丁度二歳のときでした。若い夫婦の子育てに苦労する様子や、姑との確執が微笑ましく描かれていました。しかし自身の当時の子育ての記憶が断片的にしか思い出されず歯がゆい気持ちになったりしたのも事実であります。
もう60年も昔のこと、場面場面では懐かしいシーンに思わず、目頭が熱くなったりはするのですが、こと己のこととなると実際に娘を手塩にかけて育児に励んでいたのかと、疑問に感じたりして情けなくなりました。これはきっとわが家には両親はまだまだ健在だったし、鬼千匹と言われた小姑が3人もいたので、きっと手助けしてくれたせいではないかと思います。それに家業が食堂ときては、かみさんもあたしも子育てに構っては余りいられなかったのが実情だったのかも知れません。
おまけにあたしは当時悪友との夜の付き合いもかなり激しかったので、多分にそれが影響していたのでしょう。恥ずかしき父親といったところであります。
子どもを盥で入浴させる場面ではそんな覚えもなく、内湯もなかったので銭湯のはずですが、連れて行った覚えもなく、きっとかみさん任せでしたのでしょう。そうそう、そうでした。裏のおばちゃんがかなりの頻度で娘の世話をしてくれていました。ご近所になにかと娘が世話になっていたのを思い出しました。
それに嫁いでいた姉が近所にいて、両親の様子を年中見に来ていてなにかと力になっていてくれたのを思い出します。タクシーを使ってくるので、娘はぶーぶーおばちゃんと今でも言っています。一つの映画でこんなに物思いに耽るなんて珍しいことであります。
映画の終盤、姑が居間で脳溢血で死ぬのですが、おふくろも同じく脳溢血で倒れ2週間意識不明のまま亡くなっています。
かみさんを伴い水戸まで出ます。
世界合同演習中エイリアン襲来ときたもんです。タイトルは「バトルシップ」ハワイ沖が火だるまになるといった奇想天外、荒唐無稽、奇妙奇天烈、話もここまで徹底すれば理屈を挟む隙間はありません。ただただ2時間の余大音響の中に放り込まれたようなものであります。
しかしこの映画面白い一面もあります。世界各国の合同演習を謳っていますが、実際のところは日米の2国が前面に出ての共同作戦が主として描かれています。勿論日本は海上自衛隊の面々であります。2国の指揮官が互いに張り合う犬猿の仲が、戦闘を通して友情が芽生えるといったもので、定石通りといったところであります。
この映画にはもう一つ面白いおまけつきであります。といのはこの映画、韓国では大不評を買ったそうであります。というのも日米の親密な共同作戦が前面に出ていて、そればかりか海上自衛隊の指揮官の頭脳的な作戦が功を奏したりして、韓国海軍は蚊帳の外といったあたりが不評を買った原因と言われています。
それより極めつけはへんぽんと翻る旭日旗が、韓国民の感情を逆撫でしたとも言われております。難しいものであります。
映画「戦火の馬」と牛丼
かみさんと一緒に期待していた「戦火の馬」を封切り日の昨日観てきました。万全なる期待通りではありませんでしたが、2時間の余楽しんできました。
時は第一次大戦、舞台はイギリスとフランス。1人のイギリス青年と彼の飼い馬との固い絆の物語であります。戦争勃発と共に愛馬は軍によって買いあげられ戦地に向かい、幾多の苦難に遭遇します。青年も愛馬を追って志願、フランスに渡り愛馬との再会にこぎつけるといった感動場面には泣かされました。
とにかく馬の演技といいますか、物言わぬ馬の表情、そして哀愁を漂わせる瞳の動きには驚嘆させられました。よく映画や芝居で子役が大人達を食ってしまうという話を聞きますが、しかしこの映画ではそんなこともなく、馬の一挙一動に大いに俳優たちが応えていました。まさに人馬一体でありました。
話は変わりますが、かみさんの実家でも戦後直ぐに徴用されていた軍馬の払い下げを受け、農耕に使ったそうです。とてもおとなしい馬で子供たちの好い遊び相手なっていたと、帰り道にしきりと懐かしがります。耕運機もなかった時代のお話です。
映画も終わり時刻は昼食時分、バスの時間まで40分ほど。今日は夕食の支度を頼まれていますのでゆっくりは出来ません。寿司屋で昼食摂るには当然一杯やるので時間がありません。喫茶店でコーヒーとサンドイッチといった手もあるのですが、不図思いつきます。近頃駅の南北に通じる通りに吉野家が開店したのであります。
一度牛丼を食べてみたいと日頃かみさんと話していたのですが、なかなか暖簾をくぐる機会も勇気もなかったのです。しかし昨日は又とないチャンスです。勇を鼓して店に入りました。並み丼380円を注文です。2人して初体験、いささか緊張のいっ時でした。
味はイメージと違い、小生は甘辛の濃いめの味を期待していたのですが、色そのものも薄めで味も関西風とでも言ったらいいのでしょう。しかし一言でいえば、肉も柔らかで美味しかったです。
小生には量も適当で、また機会があったら利用しようと思いました。しかしかみさんには量が多かったようであります。
今は亡き三船敏郎主演です
相手役はこれも亡き高峰秀子。時の移ろいをしみじみと感じないわけにはまいりません。映画の内容はあまりにも有名ですので割愛させて頂きますが、この映画にはいろいろと思入れがあります。最初にこの映画を観たのは戦中かまたは戦後か定かではありませんが、阪東妻三郎主演のものでした。ところでこの映画、原作がありまして直木賞候補にもなった岩下俊作の「富島松五郎伝」であります。相手役は宝塚出身の園井恵子てして楚々とした美貌には子供心にも震えがきたものです。また子役で長門裕之が出演しているのも注目であります。
その後映画化は三船の後、三國連太郎が主演し、相手役は淡島千景です。他に勝新太郎でも映画化されていますが、これは知りませんでした。なおこの小説は舞台でも上演され、新劇の団十郎と人気のあった丸山定夫が主演しており、新国劇では辰巳柳太郎の当たり役であったそうであります。
さて私事になりますが、松戸で芝居をしていたころ、松戸を拠点として朗読劇を主宰しておられた丸山由利亜さんというお方と、何回かお芝居をご一緒したことがあるのですが、この方が新劇の丸山定夫の姪御さんというわけなのであります。
丸山定夫は終戦間際に桜隊と命名された劇団を組織、地方公演をしていたのですが、無念にも広島で原爆の犠牲となりました。この時一緒に被爆し命を落とされたのが、阪妻と共演された園井恵子なのであります。
実に惜しい方を亡くしたものであります。
この映画シリーズ化され今回は三作目て゛あります。
前の二作はテレビで観ましたが、それほど感銘を受けずじまいの映画でした。しかし今回のはかなり評判が良く、他に観たい映画もないので観てきました。娘たちは一泊でデズニーへ行ってるし、かみさんを誘っての映画鑑賞でありました。
この映画丁度東京オリンピックが時代背景でありまして、今流行りのCGの技術を駆使して当時の光景を見事に再現しております。
まあ内容は涙と感動そして笑いの交錯したものでして、かなりの涙を絞られました。しかし主人公の小説家の苦渋に満ちた日常は、いささかくど過ぎて辟易ものでした。それに下町人情の描き方は、下町育ちの小生としてはいささか面映ゆいものがありまして、そうかなと疑問符が残ります。一言で言えばそんな綺麗事の世界ではないと思いました。しかしそんな詮索は置いとけば、かなり当時の雰囲気に浸るには十分な出来映えであります。
反日的な内容に気分が悪くなりました
戦時中、日本とソ連とドイツの軍服を着た男の、数奇な半生を描いています。事実を基にしたといいますが、疑問符の残る内容でした。戦場場面の凄まじさは特異でして、大量の血が飛び肉片が散る光景が繰り返されます。それより全編日本兵として召集された韓国人を差別虐待する日本軍人の異常さが描かれて気分が悪くなってしまいました。
最後にやっと日本兵と韓国人の和解らしきシーンがみられますが、ほんの付け足しでなにを今更こうした映画を作成したのかと、抗議の一つも言いたいぐらいでした。それより事前に脚本を読んだろうに、出演した日本人俳優の神経が小生には理解できません。
この映画から日本の統治に対する、韓国民の怨念のはんぱでないことが伝わってきます。戦後も60年、両国が真の和解をするには、まだまだ遠い先の話のようであります。しかし映画の出来栄えとしては、延々と描かれたノモンハン、独ソ戦、ノルマンディ上陸と凄まじいもので、到底日本映画としては及ばないものでありました。