ただ、国の施策で、あまりにも博士課程の学生を増やしすぎたことも一因であることは間違いない。 我々が学生の頃は、九州地区の国立大学で工学部の博士課程は、九州大学のみであった。 その後、ほとんどの大学に博士課程が設置され、統計によると、2008年度には、何と7万4000人もいるそうである。 問題は、その受け皿の整備がなされなかったことであろう。 と言うよりも、何か、大学院重点化の中で、博士課程の充実が数のみの尺度で行なわれた結果であろう。 昨今、大学のポジションを公募すると、とんでもない数の応募がある、そして応募者の年齢を鑑みると、彼らの切迫感が伝わってくる。 繰り返しになるが、高度に専門的な知識を発揮できるような場を、何とか増やして欲しいものである。 道路を造るのも良いが、このようなことへの投資は、将来、決して無駄にはならないと思うのだが。 さらに、こんな状況でありながら、大学は、国からの交付金を維持するために博士課程学生の募集に躍起になっている。 定員の多くは、外国人と社会人になってしまっている、多いに矛盾を感じている。
ただ、国の施策で、あまりにも博士課程の学生を増やしすぎたことも一因であることは間違いない。 我々が学生の頃は、九州地区の国立大学で工学部の博士課程は、九州大学のみであった。 その後、ほとんどの大学に博士課程が設置され、統計によると、2008年度には、何と7万4000人もいるそうである。 問題は、その受け皿の整備がなされなかったことであろう。 と言うよりも、何か、大学院重点化の中で、博士課程の充実が数のみの尺度で行なわれた結果であろう。 昨今、大学のポジションを公募すると、とんでもない数の応募がある、そして応募者の年齢を鑑みると、彼らの切迫感が伝わってくる。 繰り返しになるが、高度に専門的な知識を発揮できるような場を、何とか増やして欲しいものである。 道路を造るのも良いが、このようなことへの投資は、将来、決して無駄にはならないと思うのだが。 さらに、こんな状況でありながら、大学は、国からの交付金を維持するために博士課程学生の募集に躍起になっている。 定員の多くは、外国人と社会人になってしまっている、多いに矛盾を感じている。
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