今日の新聞に、政府の教育再生会議の大学院改革として、内部進学(4年生から同じ大学の修士課程に進学すること)を3割に抑えるという素案が掲載されていた。 その根拠として、人材交流の低下や大学院の国際競争力の低下等が挙げられているが、現場の人間として、全く理解できない、かつ現実離れした数値目標である。 また、背景の一つとして、多分、米国の大学院事情もあるだろう。 現在、米国の大学院の出身者は、国籍も含めほんとうに多岐に渡っている、これには、ほんとうに驚くとともに、改めて、米国の多様性、流動性には感心させられる。 しかしながら、このような米国の現状を表面のみ真似をしてもうまくいくわけはないのは明らかである。 国立大学(法人)、特に、地方の大学院では、内部進学が100%近いのが現状である。 個人的には、確かに、もう少し、流動的であっても良いとは思っているが、それを、数字で縛るのは、ある意味、本末転倒である。 我々の大学の場合を考えてみると、4年生と修士課程の計3年間、同じ研究分野に身を置くことには、それほどマイナスの要素はない。 もちろん、修士課程から、他大学や他分野に移ることにも、それなりのメリットがあることは否定しないが、それを強制するのもおかしい。 また、現実面を考えてみると、仮に、定員の7割を外から募集することになると、地方の大学では、間違いなく、ほとんどの大学院で定員割れを起こすだろう。 さらに、入試問題の一般化を図ると、今度は、逆に、それぞれの大学、学部の個性がなくなるであろう。 学生の立場になっても、修士課程から、強制的に、異なる場所へ移されることになってしまう。 もし、このような数値目標が実施されれば、教育再生どころか逆に、大学院の衰退を招くことは明らかである。 どうして、こんな簡単なことがわからないのか、全く信じられない。 怒りよりも呆れてしまう。
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