今月、文部科学省から、大学改革実行プラン(社会の変革のエンジンとなる大学づくり)が提案された。 この背景の一つに大学の大きな機能である研究の国際的低下が著しいことが挙げられる。 どのくらいの学術論文が引用されているかという指標があるが、10年前は、世界で4位だったが、今は、中国、フランス、カナダから追い抜かれ7位に低下、これは、アメリカの7分の1で、あのイタリア、スペインからも追い上げられている。 私が大学に勤務して四半世紀以上過ぎるが、この間、いつもいつも大学改革であった、それにも関わらず、現状は惨たんたるものである。 理由は簡単である。 今回もそうであるが、このような大学の改革に振り回され、多くの教員が、改革案作りに多大な時間を使ってしまい、教育や研究の時間が取れないことである。 そして、ほとんどの場合、名前や看板を取り換えただけで、中身は変わっていないことがわかっている作業の空しさである。 会議のためだけに大学にいる教員も少なくない、こんな状況で、教育や研究が疲弊してくのは当たり前である。 プロ野球の選手が練習せずに、野球場の改修や、ファン獲得、チケット販売、試合中のビール売りに奔走しているようなものである。 ほとんどの先生方は、今回の改革を行っても、日本の大学が沈みつつあることに変わりはないことは、多分現場で実感しているだろう。