そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

6月13日(日)その2

2010年06月13日 | 昔日記
 Uさんからフィールドワークで行きたいところを聞いて、9:00に車で宿へ迎えに行き、一気に日御崎まで突っ走った。日御崎神社に参詣した後、経島を見ながら灯台まで歩く。灯台は小学生の頃一度のぼった記憶があるような…。実に半世紀ぶりに螺旋階段を天辺まで上がった。

 その辺の茶店でラムネを頼み、サザエの壺焼きを2個注文したら、Uさんは巻貝はダメとのことで、2個とも私が平らげることに。小ぶりだが、久しぶりにサザエ食って美味かった。

 それから出雲大社を拝し(本殿が修理中のため残念)、「島根ワイナリー」でワインを試飲。もちろん運転手なので、私はぶどうジュースを何杯もおかわりした。そして松江へ戻る。途中、いわばファーマーズ・マーケットで食いたいものを買いこみ、昼食は少し遅くなったが石橋の「きがる」へ。ここはドラディッショナル出雲蕎麦の名店で、もちろん挽きぐるみにする(他に「特選」があるが、これは御前蕎麦みたいに皮を除去したもので、そんなのは出雲蕎麦ではない)。
 
 京店の「風流堂」で生菓子を買った後、実家へご案内。老母に抹茶を点ててもらって一休みする。筆洗型の茶碗を出したので、Uさんは珍しがっていた。私は亡父が気に入っていたという小ぶりな萩焼が一番好き。

 私は東京へ戻るが、Uさんはもう1泊さなるので、夕食はウチで召し上がっていただくことにした。老母も話し相手ができてうれしかろう。老人にとっては、話し相手が何よりの馳走であるからな。まだ時間があるので、Uさんを堀川遊覧舟に誘った。乗客は我々と、東京から来たという女性2人連れだけ。結局雨も降らず、気温もさほそ高くならなかったので、遊覧舟日和である。途中の舟着き場6人ほど乗り込んできたが、紫陽花や花菖蒲が美しく、気持ちがよかった。

 まあ、せっかくだから松江城の天守閣にも登った。日御崎灯台・松江城天守閣と、今日は結構ハードである。イリノイ州から来たという老夫婦とその娘さんに声を掛けられた。娘さんは少し日本語を話すが、英語で会話するほうがしっくり行くのは、まだアメリカ帰りの頭が完全には切り替わっていないせいかもしれない。小泉八雲旧居への道をお教えして、お別れした。

 東京行最終フライトに接続する連絡バスに乗ったら、堀川遊覧舟の2人連れもご一緒であった。出発ロビーでビールの飲みながら世間話をする。田舎に帰ると、誰彼なしに話し掛けたくなる。飛行機の中ではまた寝ていたらしい。感覚では10分も経たないうちに羽田に着き、なんだか損をしたような気分になった。

6月13日(日)

2010年06月13日 | 昔日記
 12日のできごと。午前中、老母と墓参りに行く。菩提寺は「谷の奥のきわまる所」(入澤康夫)にあるが、帰りに修復公開されている「島根大学旧奥谷宿舎」をのぞく。老母が小学生だった頃、ここに住んでいた外国人の子どもを訪ねて遊びにきたらしい。ふむふむ昔の通りと、しきりに懐かしがっていた。

 12:30過ぎにフィールドワークのためやってきた洗井大学の院生を駅でピックアップ、まず「一色庵」で出雲蕎麦をご馳走した。荷物を宿に預け、さっそく「売豆紀神社」へ向かう。その横屋(神職の家)が亡父の生家で、御祭神はシタテルヒメほか(「ヒメイツキ」が「メツキ」「メヅキ」となったのではないか?)。宮司(従姉の配偶者)に連絡しておいたので、拝殿で正式参拝。出雲神楽についていろいろ話を聞く。シアトルの土産を渡した。

 それから「神魂神社」「八重垣神社」と回った。「売豆紀神社」で時間をとったので、出雲国一宮である「熊野大社」まで足を伸ばすのは断念し、宿に戻る。一休みしてもらい、18:30に迎えに行き、「庭園茶寮みな美」に案内した。注文したのはもちろん、家伝の「鯛めし御膳」である。

 宿へもどる道すがら、「常乃家」で軽く飲み物。「一色庵」の向かいの蔵だが、喜んでいただけたようだ。しかし松江には、本当に人が居ない。