そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

6月25日(金)

2010年06月25日 | 昔日記
 9:30に教職員健康管理室というところに出頭を命じられていた。3月に受けた定期健康診断をネタに、産業医の先生から説教を受けるのである。ただでさえ気が重いから、都電が渋滞に巻き込まれたせいもあって、5分ほど遅刻してしまった。

 3月から6㎏体重が落ちた計算になる。だから体調はすこぶる付きでよくなっており、問題は何もござんせんと申し上げたが、胃にピロリ菌がいるだの、胆石があるだの、次々に脅されるので、気が滅入ってしまう。当方、長生きするつもりもないし、娘も自立したから、もういつ死んでも結構ですと申し上げると、変な顔をされた。

 1日6時間寝なさいとか、肉は豚にしなさいとか、お酒の飲み過ぎですとか、指示はやけに具体的である。しかし、痛風の病院で言われることと、結局何ら変わるところはない。運動不足解消のため今から始めるスポーツとしては、「社交ダンス」を勧められた。おいおい、おいら××歳だぜ(来週の28日が誕生日だけれど…)、ダンスがスンダの年寄りである。わたしまけましたわ、イエイ。…だったらK教授にお願いして、バレエでも始めますかな?

 「健康指導」が終わったのが11:00で、出頭命令書には「30分を予定」と書いてあったのに、ずいぶんたっぷり説教を食らったなあと聞いてみると、私の次の予定者が急にキャンセルしたのだそうだ。それなら早く終えて、先生もコーヒーでも飲みに行けばよいものを…。お蔭でへとへとになりましたわい。

 昼食は「五郎八」へ行く。ずいぶん混んでいた。ご繁盛、ご同慶のいたりである。まず生ビールのジョッキを空ける(いかん、いかん)。アボガド蕎麦にしたが、美味かった。

 13:00から中央図書館の会議。副館長殿からは昨日、岩波文庫の『小説神髄』をいただいたので(こういう仕事は実にいいなあ!)、そのお礼を申し上げて、シアトル・チョコを1枚進呈した。1時間の会議は、やはり居眠りをしたらしい。目を覚ますとインターナショナル・リベラルアーツ学部の委員が、ライティングセンターがどうのこうのと発言しておいでなので、シアトルの洗井大学ではかくかくしかじかと、見て来たような(本当に見て来たんだけれど)話をしたら、K図書館長から、また詳しく聞かせてよと言われた。K館長は9月20日でご退任とのことで(政権交代もあることだし)、最後に挨拶をなさったから、拍手の音頭を取る。ご苦労さまでした。

 ちょっと書店に立ち寄って光人社NF文庫を購入し、E研究科のシンポジウム会場へ行く。E系大学院をめぐる国際シンポジウムが行われたけれども、正直何じゃこりゃ?という内容だった。まあ、お祭りということだろう。M先生のご提言は大いに参考になったが…。E学というものはどうも苦手で、何が面白いのかさっぱり分からんなあ(メシのタネの一つだから、おろそかにはできませんがね)。

 会場には名誉教授のE先生やI先生がお見えで、ご挨拶申し上げた。J教育研究科のK教授の奥様と一緒にその後の会にも顔を出す。学長の話が長くて辟易した。お蔭で、教科書会社の編集会議に1時間遅刻したわい。教科書編集も山場を迎えているが、私は3カ月ぶりの出席で今浦島、またまた居眠りをしてしまったようだ(Tさん、申し訳ありません)。

 東大のM先生、国文研のFさんと3人で電車に乗った。アメリカから帰ってこのかた結構忙しく、来月は唐津に行かされることになって…とボヤくと、Fさんが、唐津はいいところですよ、佐賀牛も美味しいしと、産業医の先生が目をむくようなことをおっしゃる。でも、牛はいまあの口蹄疫問題ですから、遠慮されたほうがいいかも…とFさんが言うので、じゃあユンケル黄帝液を飲んでお茶を濁しますかな、わっはっはとお答えしたら、あきらかに周囲の乗客がどん引いて行くのが分かった。ううう、もしかしたらこれは禁句だったのかもしれん。そういえば最近、ユンケルのテレビ・コマーシャルとか観た記憶が無い。傍若無人のオヤヂ・ギャグも、少しは考えた方がよいかもしれんなあ。

 袖丈を直してもらった麻のジャケットをおろしたが、とってもいい。ここ数年来、黒かブルー系ばかり着ていたけれど、少し心境に変化があったので、茶の入ったこのジャケットに、沖縄の鮮やかなウージ染めのネクタイを合わせてみた。それで新調したサングラスを掛けてキャンパスを歩いたら、ビラ配りの学生がなぜか私だけ避けて行く。やっぱり日本人には見えないのだろうか? よほど怖くて寄りつき難い感じがするのだろうね。

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