そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

6月22日(火)

2010年06月22日 | 昔日記
 江東区芭蕉記念館に「風雅の伝統」展を観に行く。会期は27日(日)まで。目玉は定家自筆の『明月記』建久五年十二月十六日・十七日条断簡である。これは、史料纂集本に〔○某氏所蔵〕として収録されているもの。会場には釈文のプリントまで用意されていて、実に力の入った好展示である。観覧料はわずか100円で、参観者は他に2名だけ。じっくりと、心ゆくまで拝見する。

 釈文プリントは正確だったが、惜しむらくは「十七日」の日付の下の「天晴」の二文字が脱落している。キャプションや釈文の間違いを見つけるのは、大学院OGのOさん(現在、鎌倉で有名進学校の国語教諭をしている)が得意だったな(土曜のW文学会例会に見えていた)…。まあ、こういうのを一般参観の大学教授が指摘するのも大人気ないかなあと思いつつ、一応受付の職員の方に、名乗らずに申し上げておいた。会期も残り少ないので、訂正はなされないだろうが、これから観に行く人は注意されたい。

 せっかくここまで来たのだからと、新大橋を渡って浜町の方へ歩いた。「高虎」が開いていたので、入ってみたら、女将さんと若旦那みたいな人がお客の応対をなさっている。若旦那に、卒塔婆小町の手拭はありますか?とお尋ねすると、?????。ほら、髑髏の眼窩から薄が生えていて、後ろに卒塔婆が立っている柄の手拭…と説明すると、ああ、あの不気味なヤツと2枚出してくださる。どうも柄の由来をご存知ないらしい。これが最後の2枚で、染めが悪いともごもごおっしゃるが、そもそも不気味な柄だから、不気味な染色でよいのである。

 仕方が無いので、能楽ネタで、平安時代に遡る説話を意匠化したものであることをご説明申し上げた。この髑髏は小野小町なのですぞ。外国の日本文学研究者に差し上げると喜ばれます。欧米人はスケルトンが好きですからね。国立能楽堂の売店あたりに出したら、飛ぶように売れますぜと、いらぬことまで付け加えた。女将さんからは、まあいろいろ教えていただいて…と感謝された。最後の2枚なら2枚ともいただきますと、値札は1,680円。若旦那は、いやいや500円で結構ですと、結局2枚1,050円にしてくださった。ゴミを処分できたようなものですからとは、売ってる商品の価値を知らない御仁である。で、もう高虎に卒塔婆小町手拭はない。また、もう作るつもりも無いそうである。

 スサノオの尊の手拭は?と尋ねたら、それは辰歳に染める柄なのだそうだ。なるほど、ヤマタノヲロチだからなあ。これはまた入手できる可能性がある。

 昼は「並木藪」まで行き、蕎麦をたぐる。もちろんその前にビールを1本、肴は山葵芋にした。上野まで歩いて戻り、途中下谷神社にお参りした(茅の輪をくぐった!)。今日の歩数は無慮2万歩を超えましたわ。