宮沢賢治の実家のある花巻市。私は33年前に卒論を書くために1ヶ月近く逗留したが、このときには駅前も殺風景だった。また賢治饅頭程度しか賢治の名前は見えなかった。花巻市の図書館に行っても宮沢賢治の書籍はとっても貧弱であった。それがどうだろう、今は「宮沢賢治記念館」をはじめ「宮沢賢治イーハトーブ館」「宮沢賢治童話村」などが整備されてきた。羅須地人協会は妹のトシが結核で療養したときに使用した建物だという。
私たちは午後2時ごろに記念館に到着し、遅い昼食をとり、のんびりと童話のスライドを見たり、星座のドームでも賢治の雰囲気を楽しんだ。長女と次女の名前を童話からいただいたことも、より私たちを賢治ファンとして引き付け続けているのだ。39歳で夭逝していったこの天才が、今100年たってようやく多くの人々に支持されていることの、不思議さと悲しさを禁じえない。とかく人の人生とは、そういうものなのだろうかとふと思うのであるが・・・。
私たちは午後2時ごろに記念館に到着し、遅い昼食をとり、のんびりと童話のスライドを見たり、星座のドームでも賢治の雰囲気を楽しんだ。長女と次女の名前を童話からいただいたことも、より私たちを賢治ファンとして引き付け続けているのだ。39歳で夭逝していったこの天才が、今100年たってようやく多くの人々に支持されていることの、不思議さと悲しさを禁じえない。とかく人の人生とは、そういうものなのだろうかとふと思うのであるが・・・。