夢発電所

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自然はぼくの先生だった

2009-02-17 17:06:12 | つれづれなるままに
 きょうラジオでプロのナチュラリスト(自然愛好家)の話を聞いた。ナチュラリストを自然愛好家というのか、あるいはヌーディストを云うのか二通りあるらしい。ぼくのこの場合は当然前者を指しているのだが、ヌーディストを先生としたら奇妙な世界にはまりこむことになってしまいそうだ。
 ぼくの幼少時の世界は、ほとんど山川草木(さんせんそうもく)が人生の先生だったような気がする。村のマタギの家に出入りしていた私は、当然その家の文化に触れることになる。囲炉裏にはいつも大鍋が自在鉤にぶら下がり、ぐらぐらと雑炊が煮られていた。囲炉裏の上には魚の燻製やトウモロコシ、マムシなども燻製になっていた。
 こどもも沢山いてこの家は、僕たちの格好の遊び場として飽きることはなかった。ぼくは中でもこの家の寝室が大好きで、お昼はみんなでツキノワグマの毛皮の敷き布団に寝た。なんたって熊の頭が枕代わりなのだ。ヒンヤリとしたあの毛皮の感触は、いつも僕をすーっと眠りの世界に誘った。
 廊下には散弾銃が何丁も転がっていて、こどもたちも、いつでも自由に触ることが出来たが、飽きていたのかそんなに触れることもなかった。
 ある年の雪の日一回だけだが、この家のおじいちゃんと若旦那が仲間としとめた大物のツキノワグマを見たことがあった。玄関先にしとめられたツキノワグマが吊り下げられ、新聞社から記者も来ていた。当然その熊の面にも僕たちは飽きることなく離れずに見届け、そして熊の肉も鍋で煮て食べさせてもらった。
 猟犬が何匹もいて、その犬たちも肉を沢山振る舞われた。その翌日肉を食いすぎたのか、猟犬が自分の分を食べていた。後で考えると、それは彼らの病人食だったのかも知れない。
 僕の食文化は、このマタギの家で大きく変わっていった。ある時は薪割りをしながら、薪の中に潜むカブトムシ大の白い幼虫を焼いておやつ代わりに食べさせてもらったjことがある。あの口の中に広がる、幼虫の体液が未だに記憶の彼方に残っている。 

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