夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

母への手紙 その2

2009-02-10 11:53:56 | 創作(etude)
 母さん、お元気ですか?
 きょうも弘前は青空が広がって最高気温も6℃で、雪は降りそうにもありません。これからは三寒四温で、徐々にお彼岸頃までには春らしくなりそうです。
 今、弘前城公園では、雪灯籠祭りが開催されています。弘前に来たばかりの頃は、娘たちと一緒に見に行ったことがあります。夜になると日中と違って、灯籠の明かりと雪の絶妙な明かりのバランスが妙にこころ踊らせるものがあります。
 さて、冬の記憶といえば幼い頃は、しみ渡りという雪面が凍って、その上を歩いてどこまでも遊び場が広がっていたことを思い出します。ぼくは小学校の一年生くらいだったでしょうか、父さんにひどく叱られた記憶があります。あの時ぼくは父さんに買ってもらったばかりのランドセルを、お尻の下に敷いてソリ代わりにして遊んでしまいました。結局愉しく遊んだ後で、僕の心も凍りついていたのでしたが・・・。新しかったランドセルのカバーが、あっという間にひび割れ状態になってしまいました。ぼくはこのランドセルを隠していましたが、結局父さんの知るところとなって、きつく叱られたのです。あの頃の僕の頭にはいつも父さんのげんこつをもらって、こぶだらけだったような気がします。それも僕が想像以上のやんちゃ坊主だったからですが。
 母さんとの冬の思い出では、5才くらいの頃の悲しい記憶があります。それは母さんが妹を背負い、兄さんを連れておばあちゃんの家に出かけたときです。ぼくは一人残されたので、三人を追いかけて家を出ました。1時間かかってようやくたどり着くと、今度は家に帰る時間だったのかぼくだけおばあちゃんの所に泊まるように言われたのです。ぼくは仕方なく夜を待ちましたが、結局おばあちゃんのいびきがうるさくて眠れませんでした。忘れもしない寒い2月頃の、月夜の晩でした。僕は決心して夜道を、三人のいる実家を目指して家を抜け出しました。結局その時は母さんの弟のTおじさんが気づいて、僕はあっという間につかまって連れ戻されたのです。
 ぼくはそういうことをあれから何度も繰り返して、すっかり「天の邪鬼」と言われるようになっていました。何度おばあちゃんに夜中に、心配をかけたことでしょう。未だにその当時のことを思い出します。あの暗い夜道を怖さよりも、寂しさが勝っていたのですから・・・。
 大きくなってからも、おばあちゃんが僕に「おまえは可愛そうな子だ」と、何度も言われたことはそんなことがあったからでしょうね。おばあちゃんには悪いことをしたと、心の中でいつも手を合わせていますよ。
 きょうは幼い頃のことを書いてみました。たぶんもっと沢山母さんとの思い出は記憶にあるような気がしています。今度はもっと違うことを思い出してみたいと思います。母さんの記憶の中の僕はどんなこどもだったのか、今度教えてください。
 インフルエンザやノロウイルスが流行っています。手洗いやうがいを忘れないでください。それではまた、お元気で!