夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

食育と未病フォーラム

2008-01-20 17:09:15 | つれづれなるままに
 午後から「食育と未病フォーラム」に出かけた。少しでも健康のために歩こうと、市役所に駐車して会場までの15分を早足で歩いた。雪が降り結構刺すような寒さだった。なかなか歩く機会のない自分は、雪道を滑らないように注意して歩くと、早速足の脛やハムストリングス筋が痛みを覚える。如何に歩いていないかがすぐに自分の身体でわかる。弘前城公園の大手門広場前から裁判所前、桜大通りから交差点を左折し、元寺町を通りホテルニューキャッスル通りに向かい、ようやく弘前商工会議所の建物である。受付を済ませて前の方に座ると、同じテーブルに知り合いの方がお二人別々に座った。お一人は喫茶Uのオーナー夫人と、障害者福祉劇に出演したSさんだった。会場にはそのほか複数の知人の顔が目立った。
 フォーラムは最初に印象に残ったのは、養護学校の先生の「食育は食卓から」というテーマでパワーポイントを使っての説明だった。2歳児に箸の持ち方を上手に伝えるためには、箸を持つ部分に輪ゴムを巻くと持ちやすくなるそうで、練習に遊びを入れながら豆をつかんで箱に入れる場面が映し出された。なるほど2歳児でもきちんと箸を握れるようだった。そして3歳になるともはや輪ゴムは必要なく上手に箸使いができるのである。
 私が一番自分自身の健康で聞きたかった「メタボリックシンドローム」と云われたらまず何をすればよいのか?であった。未病学会理事でM病院院長が講演した。
 結論を言えば①自分の体重を量る②平常食べている量よりも何かを減らす。(継続する)月500グラムを目標。③食べ過ぎない。(少なくとも今の体重を増やさない)であった。健康に対する自らの決意がなければ、なかなか健康保持は難しいと云うことである。運動をした後で美味しいからと、安易に食べ過ぎないなどがポイントとして話された。まず体重を量るところから始めようと思った。
 

新春の夢ふくらむ

2008-01-19 16:52:49 | つれづれなるままに
 昨夜は新年最初の施設整備推進委員会が開催された。委員全員が出席して、新年会も兼ねての会議であった。お酒も入って多少脱線もしたものの、なごやかでよい会議であった。議題は「ケアホーム整備のための基本ライン」であり、過日視察した北海道の先進施設の報告も交えて、今後の我が法人の整備計画を話し合ったのである。結論から言えば、今現在希望者は7名。さらにしょうがい区分6が2名4が2名、残りは3というかなり重い方のケアホームとなりそうである。
 現実的な建築場所は重度の方々のサポートを受けやすい「であいの家あうん」の敷地と言うことになりそうである。しかし思いはできるだけ町中あるいは近隣に住宅のある場所がよい。生活の場なのだから、近くにはお店や温泉などがあると助かるし、それに交流しやすいのではないかと思う。整備の目標は2年後である。
 先進施設から学んだことで活かせるものは何かといえば、徹底的に家庭的であると言うことであろうか。これから本人さんやご家族との意見交換をしながら、基本設計にこぎつけたいと思う。
 

外食体験会~バリアフリーのラーメン屋さん

2008-01-18 07:20:22 | つれづれなるままに
 昨日は新年のグルメ体験行事「バリアフリーのラーメン屋さんに行こう!」で、あうんメンバーは2班に分かれて、第1回目のメンバー14名が出かけました。
 このラーメン屋さんは以前はトラックに屋台をつけて長い間弘前市内で営業をしていた名物ラーメン屋さんで、20年?経ってお店を構えることになり、障害者や高齢者にも優しいお店にしたいと相談にやって来たというご縁があるお店です。設計図が完成する前だったので、障害者や高齢者のイメージを伝えて、トイレには介護台を設置し、車いすでもテーブルに楽々座れるようにしたり、視覚障害者にはメニューに点字をつける協力をしました。もちろん駐車スペースも車いすの方が楽々乗降できるスペースを確保し、さらに玄関まではスロープと自動ドアが設置されました。店員さんもヘルパー資格を持った方がおり、ケアもできるお店です。安心して出かけられるお店はいいですね。
 あうんメンバーは予約席を確保してもらって、食べていました。ちなみにしょうゆラーメンは挽肉が入っていて、とても美味しいラーメンでした。やぱりお店で食べるラーメンは雰囲気も違って、熱々の麺をフーフー云いながら食べるのは格別ですね。いつも時間のかかるメンバーさんも、どんぶりのラーメンを息を吹きかけながら上手に食べていました。メンバーさんはこういう体験で、外食の楽しみを持ってくれるといいなあと思いますし、受け入れ側のお店にもいろんなタイプのお客さんがいるのだという相互の理解の場にもなるように思いました。
 21日夜にはパン工房のメンバーがスタッフやご家族を交えて同じお店で、新年会を開催しますし、来週はもう一度残りのメンバーが楽しむ機会になる予定です。

往く人来る人

2008-01-17 07:02:47 | Weblog
 北国の学校は冬休みが今ようやく終えかけていて、それでも学校によって1日から3日という始業日の違いがあるということに気付く。冬休みはとにかく朝から終日子どもたちの喚声のにぎやかさに包まれるのだ。こんなにも違う子どもたちのパワーだ。
 子どもたちの喚声と共に姿が見えなくなったのは、アルバイトのミスウインターだ。農場のオーナー夫人の話によれば、駅前の酒場で夜行バスを待ちながらお別れ会をやり、すっかり酔っぱらった彼女をオーナーが何とかバスの中に押し込んだという。朝方そんな彼女から無事に東京に着いたと連絡があったらしい。私の所にも、メールがあって、「東京は暑い!」というのが第一声だった。
 お昼近くになると昨年暮れに、胃の手術をした栄養士Yさんが元気そうな姿を職場に運んできてくれた。「無理しないで」というこちらの配慮も、彼女自身の若さでは今や飽きて仕方がないと言うくらいに、「時々来させて」と早速パソコンに向かっている。
 私は新年度の運営方針を一気に書き上げて、次に3月のボランティアスクールの起案をしたあとで、少し気分転換に事務室の喫茶コーナーの整理をし始めた。食器やコーヒーなどを分類整理して食器棚にきれいに並べた。この整理した棚がいつまでこのままなのかは定かではないが、これが新年の仕事始めの気分なのかも知れない。
 職業安定所から求人の応募に来た人の連絡が続く。たった1名の臨時職員の求人に、今や10名の応募者が来ているのだ。贅沢な悩みかも知れないが、この人たちの一人を選ぶのはなかなか難しく感じている。これも出会いの始まりなのだろう。
 
 

コンピューター性認知症

2008-01-17 06:43:26 | 創作(etude)
 字が書けなくなってきた
 漢字が思い出せない
 漢字の書き順がわからない
 英語のスペルが思い出せない
 パソコンのローマ字での変換は
 天国と書くときtenngokuであるが
 英語でのスペルはheavenなのだ
 あれれれ・・・
 だから文章が止まってしまう
 文章を書けなくなってきた

 自信がもてないから
 いつも辞書を見ながら
 点検をしている自分がいる
 誤字は汗をかく
 「収穫」が「収獲」だったり
 「際限」が「最限」であったり
 運動不足の時は
 汗をかけばよいと云うが
 誤字で汗をかいても
 それは冷や汗だ
 
 パソコンは便利である
 自分の考えの半分以下で
 画面に字の候補が並ぶ
 便利な文明の利器が
 不便な力に成り下がる
 そんなときがある
 電気が入らないと
 使えないし
 何より記憶力が
 消え失せるような不安感だろう

 自分らしさが消える
 パソコン文字
 悪事は罰せられるが
 悪字は個性的で
 ほほえみが生まれる
 感情や情念が伝わる
 文化が伝わる
 万年筆のインク
 毛筆の墨のあったかさ
 止め字流れ字揺れ字

 ぼくは親しい人に
 手紙を書くときは
 可能な限り
 手書きにしている
 そこには僕の心が
 文字に乗っかっているから
 きっと文章以上の
 何かが伝わるに違いないのだ
 記憶喪失へのリハビリも兼ねて
 ぼくは手で文字を探そう
 

 

 
 
 
 
 
 

歴史とはなにか What is history?

2008-01-15 18:16:32 | 創作(etude)
 歴史とはなにか

 歴史とはなんだろうか
 事実というものはあるのだろうか
 事実は誰かの都合によって変わらないか
 誰かとは権力である
 不都合は隠される
 不都合はごまかされる
 不都合は表現しない
 不都合は廃棄される
 不都合は歪曲する
 客観的事実とはなんだろうか
 主観的史観とは何か
 それは誰が証明するのだろうか
 勝ち組と負け組がいたときに
 どちらを主観的に描くのかによって
 その見えてくる背景や根本が
 まるで違って見えてくるのだ
 歴史は時間の堆積した
 現在との対話なのだ
 推理小説のようだ
 真実はあくまでも
 その個体にある
 しかし個体だけでは
 見えにくい事実
 反対に
 逆さまに
 見る習慣を身につけよう
 逆の発想を身につけよう
 正しいことは間違いの始まりだと
 美しいは醜
 悪は善
 愛は憎
 みんな紙一重
 みんな同源
 
 
 

 

女正月

2008-01-15 07:19:10 | つれづれなるままに
 松の内から小正月に入り、寒さは一層厳しい。今やすっかり古(いにしえ)の伝統となった「女正月」。元日から松の内の14日間に、忙しく立ち振る舞いをした女性たちは、ようやくこの小正月の15日から隣組という集落のおなご衆の回礼も兼ねた集いが行われたという。そういう風習も農業が廃れていくたびに近隣の生活形態が変わってきたこともあって、いつしか共通の話題も途絶えて消えていく運命なのかも知れない。
 市町村合併前には旧岩木町ではこの行事が行われていたが、合併後にはまたその機運がますます薄く感じられることである。

 ・女正月干し餅軒にさらしけり

 新潟の農家では小正月に紅白の餅を繭型にして柳の枝に飾り、神棚の傍の柱に飾っていた。丸型の団子は稲穂を、繭型は養蚕の豊かな収穫を祈願していたという。この餅玉は後に小正月(15日)に焼いていただく楽しみを子どもたちは持っていたのである。幼少時に見たあの鮮やかな餅玉の、にぎわいある小正月が未だに眼に焼き付いて離れないである。

 ・白銀が空に凍てつく団子花


 

厳寒の日々

2008-01-13 11:36:36 | つれづれなるままに
 昨日から降り続く雪はあっという間に15㎝の降雪。今朝も最低気温が-7℃最高気温が-4℃です。今週一週間はずっと雪マークで、厳寒の日々が続きそうです。雪が降ると本当になんて静かなんでしょう。雪が音を吸収するのでしょうね。凍てついた雪道を歩くときには、「キュッキュッ」という音がします。鳴き砂という言葉はありますが、鳴き雪という言葉は聞きません。これから寒さも本番で、いよいよ冬の観光も本格化します。弘前城雪灯籠祭りが2月8日~11日開幕をはじめ、旧金木町(現在は五所川原市)では「地吹雪ツアー」が開催されます。寒い時期に見られるブリザードです。一度降った雪を強風が大地から雪を巻き上げれば、目の前が全く見えなくなってしまいます。角巻という毛布のような生地でできているコートを着て寒敷きという竹でできた雪上を歩くはきものを履いて新雪を歩いたり、馬そりに乗ったりする観光です。

 昨日は同僚のSさんと沖縄出身のミスウインターと3人で、鰺ヶ沢スキー場にスキーをしに行きました。一年ぶりのスキー場です。最近は純粋のスキーヤーだけではなくて、「ボーダー」と呼ばれるスノーボードで雪面を滑る人たちが増えています。私もミスウインターもスキーがなくてレンタルスキーを利用しました。6時間で4000円でした。そしてリフト代が3000円。1年にほとんど一回しか滑らなくなっているので、借りた方が便利な気がします。でも、仲間がいるとやっぱり楽しいですね。鰺ヶ沢スキー場のリフトは4人掛けで、寒さよけのフードが前面にすっぽりと被さって上半身は寒風に当たらなくても良いので快調です。そしてもう一つがゴンドラで、これはスキー場の最上部まで運んでくれる箱形4人乗りで、これはまったく風に当たらずに12分間で到着します。晴れた日には日本海が望めるこのスキー場は積雪量も豊富で、県内では一番集客力のあるスキー場です。三連休の土曜日でしたが、それでも人出は今ひとつという感じでしょうか。
 ミスウインターは一昨日21歳の誕生日を迎えたと云うことで、若さまっただ中です。今回のスキーで4回目ということでしたが、ボーゲンを何とかクリアできるところまで上達しています。初体験の今シーズンのスキーとしては、運動能力は高いものががありそうです。同僚と私で彼女を挟むようにしてゲレンデを滑走しました。とても快調でした。それにしても昨日は気温が低く、雪が降って顔に寒さが突き刺さるような感じで言語障害になりそうでした。
 午後2時30分でスキーを終了し、しらとり農場の傍にあるK温泉に立ち寄って冷えた身体を温めました。適度の運動で少し太股をはじめ足が痛い感じでしたが、温泉に入ってさっぱりしています。
 ミスウインターも15日にはバイトが終了となり、夜行バスで自宅に帰ります。バースディ記念のスキーを大いに満喫し、思い出をおみやげに帰れることでしょう。その後故郷沖縄で過ごし、また3月には農場に舞い戻るようです。ミスウインターも12月に弘前に来たときには精神状態不安定で涙の日々でしたが、今はその面影もなく元気いっぱいとなって明るく過ごしています。ミスウインターのこの笑顔がいつまでも続いてほしいと願っています。

鍼灸マッサージ「治療室あかり」へ

2008-01-12 08:17:05 | つれづれなるままに
 私の背骨には2カ所棘突起があり、整形外科医に「いずれコルセットだな」と宣告されている。これは長年介護の生活をして重いものを持ち続けていると背骨が摩耗してとんがってくるらしい。まだコルセットはしたことがないのだが、冬場は余計にこの部位が痛む。
 治療室に今年初めて行き、マッサージをしてもらった。通称「賢ちゃん」は私の身体の名トレーナーであり、心のマッサージ屋さんでもある。年齢的には20歳くらい下なので若いのであるが、気心は知れていてお互いに人間関係をある一定のラインでキープできる大人の関係である。失礼なことは云わないし、その分どのあたりで笑いを楽しめるかをわかっているなあと思う。人間関係の中で一番つらいのが、お互いに間合いが取れない場合である。人の傷口をちくちくと刺激する人。相手の辛い場所を笑いにする人。自分のことしか考えずに、相手の話を聞かない人。相手の家族を誹謗したり、貶める人。やたら他人の陰口をきく人。「ここだけの話」という陰口は最も危険な罠である。
 親しくなるというこの中にはいろんな棘も隠されている。だから気をつけないと、知らない内に相手を傷つけている。この知らない内にと言うのがくせ者だろう。相手の痛みを自分が知らないということが空恐ろしいことでもある。
 賢ちゃんはいつも明るくからっとしているので、なんだか話をしていても心が一緒に軽やかになるので、身体もすっきりするし、心も軽くなる。だから少し遠くても足を向けてしまう。いや、頼りにしている実際。冬場は特に体が固くなって、あちこち凝りだらけになる。1週間に一度のリフレッシュであるが、本当にこの体の不調は気持ちまで暗くしてしまう気がしている。
 昨日も何回笑ったか。新春初笑いの感でもある。そんな賢ちゃん自身も、体の不調のあったことを聞いた。そんなと起動するのかを聞くと、お姉さんに揉んでもらうのだそうだ。床屋さんの頭は誰が刈るのかとか、お医者さんの具合が悪いときはどうするのかなど疑問がある中、マッサージも結局どうしているんだろうと思っていたので少し、納得した。

旅立つ若き翼たちへ

2008-01-11 08:19:43 | つれづれなるままに
 昨日大学4年生のI君が、就職内定の知らせを持って挨拶に来てくれた。彼の実家は八戸市のせんべい屋である。余談であるが皆さんは「せんべい汁」なるものを、食したことがあるだろうか?私も最初は馬鹿にしていたのに、今は彼の差し入れのおかげですっかりファンになった。実はこのせんべい汁は彼の就職先の園長と関係がある。彼の就職先は八戸市内の特別養護老人ホームZ園で、その園長は30年来私と交流いただいているiさんである。iさんは実は1995年(平成7年)1月17日未明の阪神淡路大震災が大地をうねらして、6千人余の尊い命が奪われたが、その折に地元のボランティアを組織していち早く駆けつけた方である。そして停電などで寒さの中でふるえる人々にせんべい汁や花を供し、飢えと寒さと不安の中で呆然とする難民に物心両面でお慰めしたのである。
 iさんの施設と私の初めての勤務先の特別養護老人ホームは、同じ年(1979)に開設されたのが縁である。県内24番目の特別養護老人ホームであった。そしてソーシャルワーカーの研修会で、同じ釜の飯を3ヶ月間食べた仲間でもある。
 その施設に件の彼が就職内定したのも何かの縁を感じるのである。
 今年卒業予定の4名は大学1年生のときからのお付き合いである。はじめはサマーワークキャンプで始まり、以後2004年から2006年まで障害者福祉劇を上演する「ユニコン」のメンバーでもあった。2003年の身体障害者福祉劇「全盲ランナー物語」から始まり、2004年の知的障害者福祉劇「はばたく時を夢見て」2005年、2006年が精神医療ユーザーをあらわした「この街で暮らしたい」の際には、メンバー全員が熱演をしている。はじめは遠慮がちに恥ずかしさの抜けない彼らが、その登場人物の魂を理解するようになり、共感の中で自らの内側の声を出せるようになった。彼らの役者としての最高の舞台は、彼らの通う大学の教室の中で行なわれた時であろう。
 今彼らが羽ばたく羽根は力を蓄え、彼らに無限の世界に誘ってくれるに違いない。そういう彼ら若き翼に先人のこのことばを贈りたい。
 

『この道より我を生かす道はなし、この道を行く』武者小路実篤

『僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る』 高村光太郎