夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

市町村合併後の置きみやげ

2008-01-22 22:11:11 | 一歩二歩、散歩~横道
 食後の運動不足を兼ねて、パン工房「ゆいまある」まで散歩しました。あうんの敷地から県道へ出る直前の道路にマンホールが雪を溶かして姿を現していました。弘前市に合併前の岩木町がここに残されていました。マンホールのふたには、稲穂とりんごと桜、山女魚、そして岩木町の花「ミチノクコザクラ」が彫られていました。いつまでも残して置いてほしいと思いながらカメラに収めました。

大寒に部屋籠もり

2008-01-22 07:24:33 | つれづれなるままに
 日めくりの暦を見ていれば、「大寒」などという二十四節気の言葉が現れて気持ちも豊になる気がしている。しかし「大寒」と言っても言葉上であって、この度はなんだか毎日が一番寒いという感じもしている。小寒と立春の間をいうと辞書には書いている。とはいうものの同じ寒さでも、この時期の寒い暑いはほんの2℃くらいでも、変化を感じてしまう。朝方冷えても最高気温が2,3℃にも上れば、室内では「きょうはちょっと暑いんじゃない?」という会話が交わされている。事務室内にはパソコンが6台あり、そのほか印刷機械が2台あることも、事務室内が余計に暑いのも原因かも知れない。
 私は朝から自室に籠もって孤独に浸った。というのも生活支援ネットワークライフという組織からの依頼で26日に研修会が開催されることになり、60分間の講話を2名で2単位行うことになっている。テーマは「一人ひとりの生命に向き合って」である。30数年間の福祉の道の中で、出会ってきた一人一人を思うとみんな素敵ないのちだなあと思えてくる。ことにしょうがい者福祉の世界に入ってこうしてある程度その人たちの傍に寄り添っていると、一人ひとりの成長の時間軸が多少あるいはかなり違っていることに気付いてくる。私の娘たちを軽々抱いて排泄習慣をつけることや楽しみの獲得、移動することを繰り返し継続して来た先の見えない日々の繰り返し。それが目の前の娘たちが自然に身につけて行っているのを見ると、彼女たちの緩やかな学びがようやく見えてくる。親のかすかな願いのようなものかも知れないが、重い制約を身につけて産まれてきても、諦めることはないんだぞと今更ながら彼女たちから教わっているのだ。そして親としてようやく彼女たちから自信をもらえるのである。言葉が話せないとか、歩けないとかの制約があっても、内在する能力は計り知れない。諦めないで語り続け、めげないで希望を持って共に生きて行くことが、10年単位の歴史の中でやがてじわりとやって来る光明があるのだ。そういうものも制約者の親の喜び方としてあることを感じている。大寒の次は春なのだから。