今年も新年の挨拶は控えなければならない事情があり、正月気分も抜け切った頃合いを見計らって、今年も宜しくです。 一昨年より我が家族の一員に加わったちゃ平次の画像で挨拶。
昨年の正月もちゃ平次の画像であったが、当時より幾分大きくなり大人っぽくなっている。 オマケでもう一枚
猫の気持ちとか云う雑誌の付録に付いていたこの箱が気に入っておりボロボロになっても修繕しながら使っている。 最近は猫が空前のブームとやらで、テレビ等でも随分と画面に猫を見る機会が増えているのが判る。(犬一辺倒の時代が長かった) ブームの火付け役が何だったのかは判らないが、人間側の事情が理由だろうと何となく察するのだが・・・。
さて、このブログでは恒例(偶に抜けているが)となっている新春の詞だが、先日、久しぶりに有った親戚の方達が、私の頭を見てどこから見ても真っ白だと驚いていたのが思い出され、そんな句がどこかに有ったようなと云うことで、意味は全く異なるが古今和歌集より文屋康秀が正月三日に二条の后の前で詠んだ詞を紹介する。 (春の日に当たる私ですが頭が雪となるのがわびしいです)
春の日の 光にあたる 我為れど かしらの雪と なるぞわびしき
さて、この冬は今のところ稀に見る少雪となっているが、豊饒の秋を期待するには雪は大切である。 身体は楽だが雪が欲しいと思う今日この頃。