今週号の日経ビジネスは、2007年から少しずつ定年退職を迎えてきた団塊の世代について特集記事を組んでいます。
団塊の世代は、経済成長を背負ってきた人たちです。その世代の一部が癖のある「団塊モンスター」となり企業を苦しめ始めています。
例えば次のような苦情を企業に問い合わせています。「この健康食品はしばらく利用しているが、この成分は内臓の中で問題を起こす可能性がある。自分は研究開発部門にいたから知識がある。商品化が難しいことも知っている。専門知識のある社員から、直接説明を伺いたい」要は、自分はただものではないということを言いたいとことです。
また、団塊モンスターの活躍の場は企業相手のみでないことも記載されています。自らが住む地域も舞台となります。肩書きがなくなったにもかかわらず、無意識に周囲の人間を部下のように扱うのです。団塊世代の会員が地域団体に「運営改善計画」を突きつけるケースもあるとのことです。
良しにつけ悪しきにつけ、世の注目を集めてきた団塊の世代ですが、この名前の名づけ親である堺屋太一がコメントしています。
-企業社会から引退したとはいえ、団塊世代は働く体力も気力もあるし、経験や知識もある。団塊の世代の人がそれぞれに、「これほど高水準の提言ができるのは自分だけだ」と思って行動している。これを「さまよえる活力」とよんでいる。-
-この「さまよえる活力」の活力は発散、発揮できる市場を開発していけば、日本経済は今後10年間で10%の成長が期待できる。-
私は、数年前に地元伊勢崎市役所が企画していた「市民会議」に2年間参加していたことがあります。この「市民会議」は、市民が自由に公募して、市役所が決めたテーマを議論しあい報告書にまとめるものでした。
この公募者には60歳以上の方が多く、そして熱心なのです。企業戦士から社会貢献戦士になろうという人が多く存在していることを実感しました。
そして、熱心は熱心なのですが、その活力をどのように発揮していいかわからないでいる人が多いようにも思いました。まさに「さまよえる活力」です。
その時に感じたのは、地域に戻るための準備期間が少ないと「さまよえる活力」になるのでは思いました。
団塊の世代は、目標に向かってまっしぐら進むパワーがある世代ですが、周りをみる余裕に少し欠けていたのではないでしょうか。
それぞれの世代が「成熟社会」の生き方を考えていきたいものです。
団塊の世代は、経済成長を背負ってきた人たちです。その世代の一部が癖のある「団塊モンスター」となり企業を苦しめ始めています。
例えば次のような苦情を企業に問い合わせています。「この健康食品はしばらく利用しているが、この成分は内臓の中で問題を起こす可能性がある。自分は研究開発部門にいたから知識がある。商品化が難しいことも知っている。専門知識のある社員から、直接説明を伺いたい」要は、自分はただものではないということを言いたいとことです。
また、団塊モンスターの活躍の場は企業相手のみでないことも記載されています。自らが住む地域も舞台となります。肩書きがなくなったにもかかわらず、無意識に周囲の人間を部下のように扱うのです。団塊世代の会員が地域団体に「運営改善計画」を突きつけるケースもあるとのことです。
良しにつけ悪しきにつけ、世の注目を集めてきた団塊の世代ですが、この名前の名づけ親である堺屋太一がコメントしています。
-企業社会から引退したとはいえ、団塊世代は働く体力も気力もあるし、経験や知識もある。団塊の世代の人がそれぞれに、「これほど高水準の提言ができるのは自分だけだ」と思って行動している。これを「さまよえる活力」とよんでいる。-
-この「さまよえる活力」の活力は発散、発揮できる市場を開発していけば、日本経済は今後10年間で10%の成長が期待できる。-
私は、数年前に地元伊勢崎市役所が企画していた「市民会議」に2年間参加していたことがあります。この「市民会議」は、市民が自由に公募して、市役所が決めたテーマを議論しあい報告書にまとめるものでした。
この公募者には60歳以上の方が多く、そして熱心なのです。企業戦士から社会貢献戦士になろうという人が多く存在していることを実感しました。
そして、熱心は熱心なのですが、その活力をどのように発揮していいかわからないでいる人が多いようにも思いました。まさに「さまよえる活力」です。
その時に感じたのは、地域に戻るための準備期間が少ないと「さまよえる活力」になるのでは思いました。
団塊の世代は、目標に向かってまっしぐら進むパワーがある世代ですが、周りをみる余裕に少し欠けていたのではないでしょうか。
それぞれの世代が「成熟社会」の生き方を考えていきたいものです。