フランクルの名著「夜と霧」を読みました。この本は、旧訳と新訳が出版されていますが、今回は新訳を読みました。
この本は、ユダヤ人の心理学者フランクルが第二次世界大戦中にナチスにより強制収容所に送られた体験を心理学者として著したものです。
内容は心理学者としての学問的な分析に基づいた記述となっていて、なかなか理解ができない個所もありますが、収容、収容所生活、収容所から解放されての3部からの構成になっていて強制収容された人間の心の様子が精密に分析されています。
感動する記述は至るところにあるのですが、過酷な状況で以下の記述は何回読んでも読みたい気持ちになります。
「このひとりひとりの人間にそなわっているかげかえのなさは、意識されたとたん、人間が生きること、生き続けることにたいして担っている責任の重さを、そっくりと、まざまざと気づかせる。自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間は生きることから降りられない。まさに、自分が「なぜ」存在するか知っているので、ほとんどあらゆる「どのような」にも耐えられるのだ。
この記述は「なにかが待つ」と題されています。なにかが待つと自覚することにより人は収容所の過酷さ耐えられたものです。生きていれば未来になにかが待っているという「希望」が苦しみを耐えさせたのです。
この本を読むのは3回目です。理解できない個所も多いです。今後も旧訳を含め何回も読んでいきたい本です。