作家の五木寛之著の「人間の覚悟」を読みました。五木寛之は、現代は地獄の門が開くということでこれから数十年は下山の時代と書いています。
1945年以降つまり太平洋戦争での敗戦ごの日本は、焦土からの奇跡の復興を目指す過程で、みな一体感になる感覚が持てました。上昇していく時代だったのです。
しかし、今は下降していく社会(時代)であると五木寛之は認識しています。そして、下降していく社会と、個人的には上昇していこうとする人たちの摩擦、どこにも出口の見えない閉塞した社会、うだつのあがらない自分自身へのやり場のない怒り、抑圧されたまま発酵してガスが出ているような鬱の気分が、多くの人を心の病に向かわせていると指摘しています。
そろそろ(私たちは)覚悟を決めなければならない。「覚悟」とはあきらめることであり、「明らかに究める」こと。希望でも、絶望でもなく、事実を真正面から受け止めることにあると腹をくくることを指摘しています。
五木寛之は3回極度の鬱に悩まされたそうです。その経験からの言葉です。私は3年前に五木寛之の講演を聞いたことがありますが、自分の話は暗い話だと断っての話でした。この本も暗い内容と言えば暗い内容です。しかし、なぜかそうだなあと私は思ってしまいます。
昨日、NHKテレビで今秋に放送される司馬遼太郎の「坂の上の雲」のメイキングドラマを放映していました。この本は日本の企業経営者に圧倒的に指示されている本です。しかし、なぜ今、「坂の上の雲」なのでしょうか。私は時代は下山の時なので五木寛之の言っていることのほうにひかれます。
五木寛之は次のように書いています。「歴史を見ればわかるように、時代の流れはそうやって何十年かおきに坂を下ったり上がったりするものです。全てが移り変っていくなかで、人は「坂の下の雲」を眺め、谷底の地獄を見つめなければならない時がある。だからこそ覚悟がいるのです。」
この時代認識が今にあっているのではないでしょうか。
そして、「人生は雑事とともに終わっていく」ということも指摘しています。どんなに雑事に追われて、何もなしえずに終わるとしても、大河の一滴なのだとしても、人は生きるとことは壮大な営みがあるわけで、どんなにぶざまであろうが、生きていることに意味があるという言葉に、最近、鬱気味の私は勇気づけられました。