金曜ロードショーで『ALWAYS 三丁目の夕日』を観た。
不覚にもラストシーンで感動してしまった。
他にも色々感動的なシーンはあったのだけど、私は最後のシーンに最もグッと来た。
この映画について呉智英さんが「感動したけれど、登場人物が皆平成の顔だった」という旨のことをどこかに書いていた。
(たしか、『ダヴィンチ』だったと思う。)
確かに、皆、今の顔つきだった。
昭和三十年代の人々にしては洗練されている。
また、来ている服もやけにピカピカしていた。
建物やオート三輪は古ぼけているのだけど、人々はみんな新しかった。
どうも、人間だけがタイムスリップしてきたような印象を受けた。
しかし、中でも堀北真希が演じた六子(むつこ)は結構昭和の香りが漂っていたと思う。
はじめちっとも堀北真希と気づかなかったし。(それは私が年寄りなだけ?)
青森から集団就職で上京してきた娘ということで津軽辯を駆使した演技も中々上手かった。
小生、堀北真希を見直した次第。
白状すると六子は本当に可愛らしくて、今あんな娘がいたらいっぺんに好きになってしまうだろうと思う。
田舎臭くて純真で健気で・・・今、そんな娘は滅びてしまった。
この映画、原作は西岸良平さんの漫画『三丁目の夕日』なのだけど、茶川竜之介を始め登場人物が原作と随分印象が違った。
が、映画は映画として割り切ってみればそれもそれほど気にならない。
むしろ、CGの方が気になるくらい(笑)
西岸さんの良いところは安易にハッピーエンドにならないところだ。
最後までどこか物悲しさが残ることが多い。
最近、ちょっとした昭和ブームで昭和三十年代を古きよき時代として懐かしむ風潮があるが、
当時の人は当時の人なりにいろいろ大変だったのである。
西岸さんの作品にはそういったマイナスの部分もきちんと書いてあるから好きだ。
しかし、それでもなおあの時代が限りなく懐かしく愛しく感じるのは何故だろう。
昭和六十年生れの私でさへそう感じるのだ。
ラストシーンで鈴木一家が土手から夕日を眺めてこんな会話を交わす。
「綺麗な夕日だね」
「夕日はいつだって綺麗だよ」
「明日もあさっても五十年後も、ずっと夕日が綺麗だといいわね」
今、我々が見ている夕日は五十年前のそれと変わらず綺麗だろうか。
もし、そう感じないとすればそれは夕日が変わったのではなく、我々の心が変わったのだろう。
不覚にもラストシーンで感動してしまった。
他にも色々感動的なシーンはあったのだけど、私は最後のシーンに最もグッと来た。
この映画について呉智英さんが「感動したけれど、登場人物が皆平成の顔だった」という旨のことをどこかに書いていた。
(たしか、『ダヴィンチ』だったと思う。)
確かに、皆、今の顔つきだった。
昭和三十年代の人々にしては洗練されている。
また、来ている服もやけにピカピカしていた。
建物やオート三輪は古ぼけているのだけど、人々はみんな新しかった。
どうも、人間だけがタイムスリップしてきたような印象を受けた。
しかし、中でも堀北真希が演じた六子(むつこ)は結構昭和の香りが漂っていたと思う。
はじめちっとも堀北真希と気づかなかったし。(それは私が年寄りなだけ?)
青森から集団就職で上京してきた娘ということで津軽辯を駆使した演技も中々上手かった。
小生、堀北真希を見直した次第。
白状すると六子は本当に可愛らしくて、今あんな娘がいたらいっぺんに好きになってしまうだろうと思う。
田舎臭くて純真で健気で・・・今、そんな娘は滅びてしまった。
この映画、原作は西岸良平さんの漫画『三丁目の夕日』なのだけど、茶川竜之介を始め登場人物が原作と随分印象が違った。
が、映画は映画として割り切ってみればそれもそれほど気にならない。
むしろ、CGの方が気になるくらい(笑)
西岸さんの良いところは安易にハッピーエンドにならないところだ。
最後までどこか物悲しさが残ることが多い。
最近、ちょっとした昭和ブームで昭和三十年代を古きよき時代として懐かしむ風潮があるが、
当時の人は当時の人なりにいろいろ大変だったのである。
西岸さんの作品にはそういったマイナスの部分もきちんと書いてあるから好きだ。
しかし、それでもなおあの時代が限りなく懐かしく愛しく感じるのは何故だろう。
昭和六十年生れの私でさへそう感じるのだ。
ラストシーンで鈴木一家が土手から夕日を眺めてこんな会話を交わす。
「綺麗な夕日だね」
「夕日はいつだって綺麗だよ」
「明日もあさっても五十年後も、ずっと夕日が綺麗だといいわね」
今、我々が見ている夕日は五十年前のそれと変わらず綺麗だろうか。
もし、そう感じないとすればそれは夕日が変わったのではなく、我々の心が変わったのだろう。